コミニティーには地域に住む人の集まりだったり、会社だったり、スポーツクラブや文化サークルなんかもあるよね。
あと、ワールドメイトだったら、支部に所属するエンゼル会というボランティアの集まりもそう。
それに家族も入れてもいいと思うけど、とにかく人が何人か集まると、人間関係のいろいろなことが出てくるよね。
煩わしい人間関係が嫌という人は多いと思うけど、だからと言って、コミニティーに属さず生きるのは難しいというか、不可能だし。
「人は一人では生きていけない、互いに助け合って生きるのが人間の道だ」と二宮尊徳が言っていたらしいけど。

昔、会社のある上司のことを、身勝手な嫌なヤツと、思ったこともあった。
あるいは同じ職場で、なんでこの人はこんなにワガママなの、と腹がたつこともあった。
似たようなことは今でもあるけどね。ただ、腹が立つことは少なくなってきた。
ワールドメイトで、深見東州先生が何度も話されてきたことを聞いて、考え方が変わったからかな。
たとえば、何であの人はこうなんだろう、なぜ、もっとこのようにしてくれないの、みたいな感じに思うことがある。
深見東州先生は、それは相手に対して期待をしているからですよ、過度な期待を持たないようにすればいいのです、と言われていた。
相手のことを小馬鹿にしたり、無視するという意味ではないからね。

自分なりの価値基準があるから、それを超えると相手を許せなくなる。
自分なりの価値は我見であり、我見に基づいた期待があるから、期待通りしてくれない相手に対し、もっとこうくれそうなものなのにと、不満の一つも言いたくなるんだよね。
そんな我見は捨てて、相手に対して過度な期待を持たないようにと。
そうすると、まぁそんなものだろうと、寛容にそのまま相手を受け入れることができるようになってくる。
相手ではなく、自分自身が変わればいいんだよね。
そうすれば人間関係の不満とかの多くはなくなると思うし、悩みも減るよね。
相手がまだ未成年とかなら、性格も変わるかもしれないけど、たとえば30代とかを超えたら、もうほとんど変わらないと思った方が良いそうだ。20代ですらそうかもしれない。

相手の短所に対して、良い意味での諦めが必要だよね。
それが人間を理解すると言うことであり、そうすることで、相手に対して愛情が生まれることを実感した。
深見東州先生が言われるには、人間理解が深く大きくなればなるほど、愛も大きく、深くなるそうだ。愛が本物になっていくんだよね。
ホントにその通りだったと、実感することが増えてきた。
なんでこの人は、いつも喧嘩腰で怒ったような言い方なんだろうと。
つい、こちらも腹が立つし、言い返したくなるんだけどね。
そういう性格なんだなと理解し、受け入れるようできると、不思議とうまく対応するコツがわかってきた。
今では仲良くなってしまったけどね。

親子、夫婦、職場や仲間との上下関係、人間関係など、あらゆる人間関係において、大人の対応ができるようになってくると、結果として、良い方向に向かうんだなと。
相手の短所も長所も受け入れて、相手が成長できるようにされるのが、深見東州先生なんだけど、そこに大きな真理があった。
そうやって自分自身が磨かれているんだよね。相手も幸せになるし、自分自身も進歩向上するんだよね。

同じことは、自分自身に対しても言えると、最近の話で言われていたけど。
自分自身に対しても過度な期待はしないと。
なぜなら、100%自分の思い通りの自分にはならないから。
できない自分に苛立ったり、情けないと落ち込んでも仕方ないし。
過度に自分にも期待しないほうがいいと言っても、投げやりになってもいけない。
やはり少し高い目標を持って、日々、少しづつでもよくなっていれば良いそうだ。
その言葉を聞いて、なんだかすごく楽になった気がする。
やっぱり、自分なりの我見があって、思うようにならない自分にどこかで苛立っていたのかな。

神様に自分のことを願うにしても、そんな我見が入ったような願いをしていたら、どこか歪んでいるため、なかなか聞いてもらえないらしい。
こうしたいという目標は持ってやるんだけど、その通りならないからといって、自分を責めずに、日々元気に、少しづつでも進歩すれば良いと思ってやることにした。
我見や我執着もなくして、自力と他力がうまく噛み合うようになるといいけど。
