ワールドメイトの深見東州先生は、禅に出てくる大死一番の話をよくされる。
有名な言葉だけど、熟語としては「一度死んだつもりになって奮起すること。死ぬ覚悟で何かをしてみること」という意味になるけどね。
"死んだつもり"、"死ぬ覚悟"、だから実際に死ぬわけではないから。
あくまで、そういう境地のことを言うそうだ。
それにしても、死ぬ覚悟って、そんなに簡単にできるものじゃないよね。
深見東州は、そのような境地になるには、日々、己を練ることが大事だと言われているけど。
特に経営者や、何かのリーダーになる人は、それが必要ということだった。
国政を預かる政治家も、そうであってほしいけどね。
ところで、なぜ、死ぬ覚悟を持つことが、そんなに大事なんだろうか?
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で語ったスピーチに、そのヒントがあった。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。
本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。
我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。
ジョブズも、そうやって、今日が最後の日だという気持ちで、毎日生きていたんだろうね。
深見東州先生によると、自分は死ぬんじゃないかとか、そんなふうに思っていると、かえって病気になって死んでしまうものですよ、と言われていた。
ためらったり、心配したり、弱気になったり、不安になったりすると、えてして失敗につながってしまうことが多いよね。
そんな消極的な気持ちを吹っ切って、積極的な気持ちで、大いに死んでやるぞくらいの、大死一番の境地で望むと迷いがなくなり、躊躇することもなくなるそうだ。
たとえば経営者や人の上に立つ立場の人の場合、常に何らかの問題に晒され続けるわけだよね。
将来の方向性についてもそうだし、必ず重要な決断を下さなければならないから。
リーダーが決断を躊躇してしまうと、その下にいるものは不安だと思うし、組織も結束できなくなるからね。
だから責任ある立場の人は、毎回、毎回、ためらうことなく決断し実行しないといけない。
さらに最終的な責任まで負わなくてはならないし。
経営者の人たちというのは、そんな大変なことがずっと連続して続くんだよね。
一歩判断を間違うと会社が潰れるかもしれないという危険と、社会的な死と、常にとなり合わせの緊迫した状況が続き、さらに孤独でもあるよね。
それでも吹っ切ってやらないといけないのが経営者の立場だから。
だからこそ大死一番の境地を、日々、練っておかないといけないんだろうね。
葉隠には、「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という一節があるよね。
これは、主君の危機が迫った時とか、いつでも主君のために死ぬ覚悟で臨めということだろうけど。
でも、それこそが、大死一番の境地を、日々、練っていることになるんだろうけどね。
東山魁夷という日本画の巨匠は、戦前は評価されなかったけど、太平洋戦争末期に軍隊で、特攻隊の訓練をされたそうだ。
その時、死を覚悟したのか、山々の風景を見て、言い表すことができないほどの深い感動を覚えたそうだ。
再び絵を描くことはできないだろうけど、もしも描けるのであれば、この感動を素直に絵に描いてみたいと。
しかし戦争で死ぬことはなく、戦後はその時の感動を才能に開花させて、巨匠へとなっていったそうだ。
死を覚悟したとき、そんな不思議な感性が開き、才能となって開花していったんだろうね。
先ほどのジョブズの言葉とも、あい通じるところがあるよね。
そんな大死一番の境地になると、必ず神様の守護があり、守護霊が応援してくれると深見東州先生は言われていた。
さまざまな迷いや不安を持った自分を捨て、積極的に乗り越えた自分になったとき、神様が動き、素晴らしい結果につながる。
深見東州先生は、日々、発願をすることの大切さを何度も言われてきたけど、発願をするときにも、大死一番の練習をしなくてはいけないと言われていた。
売り上げをこれだけ上げるんだと、目標を決めて発願したとしても、あの会社との交渉は大変だし、営業に行って断られてショック受けるのは嫌だし、恥ずかしいとか思っていたらダメだよね。
営業に行って、たとえ断られても、それが何なんだくらいに思って、また新規開拓に向かう強気の自分になっていかないとね。
そんなことの積み重ねが、境地を練っていくことになり、大死一番の決断が必要な時にできるようになるのだろうから。
一つだけ、深見東州先生の大死一番のことを紹介して終わろうかな。
深見東州先生は、大変多忙な方だけど、これまでワールドメイトでたくさんのセミナーを開催されてきた。
毎回、毎回、違った話をされるだけでなく、今日その話が聞けてホント良かったと、毎回感動するんだよね。
そんな講演を行うためには、事前の準備が大変だろうと、普通は思うかもしれないけどね。
もちろん膨大な知識と経験をたくさん積まれ、学んできた絶対量があるのは、大前提になるけど。
その上で、その日の講演会で何を話すのかは、皆の前に出るまで何も決めていないそうだ。
ところが何百人、何千人と集まったワールドメイト会員の前に出てきた瞬間に閃き、その日話すことが出てくるそうだから。スゴイというしかない。
そんな芸当は、誰にでもできるとは思わないけどね。
もしも閃かなかったらどうしようかなんて、そんなことは一度も思ったことが無いそうだ。
演壇に立つ時はいつも大死一番の境地で、弱気や不安になることは無いし。
絶対に何とかなる。神様のために死ねるなら本望だという気持ちで臨まれるそうだ。
そうすると、毎回、毎回、必ず神様が動かれるそうだ。
その証拠に、その時に集まった人たちにとって、ホントに良かったという感動的な話になるからね。それはもう、とても人間わざとは思えないし。