ワールドメイト会員のための、月例講演会が8月から始まった。今回は9月度で2回目になる。
先月の第1回目もそうだったけど、過去のお話の集大成のような内容が聞ける。そして、さらに足されてわかりやすくなっているように思う。
ワールドメイト会員にとっては根本となるところだし、ワールドメイトの教義ができるとしたら、こういう感じの内容になるのかなという、そんな大切な内容になっている。
何度か聞いたこともある内容なのに、人に話そうとすると上手く言えないものが多い。
ワールドメイトで知った内容は膨大な上に、内容が濃いくて深いので、なかなか言葉で話すのが難しい。ましてや文章に書こうとすると、余計に上手くできない。
深見東州先生の膨大な著作にも書かれてないことが沢山きけるし、ワールドメイトのメルマガにも書かれてないことも沢山ある。
これだけすべてを学び切るには半端なことじゃできないし、ほとんど無理かもね。
それだけに、道や神様を求めている人にとっては、どこまでもありがたい内容だと思う。わからなかった疑問の解決にもなると思う。
ところで仏道に入門し、仏になるために修行に励んでいる人たちが昔からたくさんいる。
とても厳しい修行をしているし、それに耐えれるような選ばれた人だけが覚醒して仏になるのかなと思えてしまう。
でも本当は、すべての人にそうなれる可能性があるそうだ。
ワールドメイトは仏教ではないから特別な修行のようなものは無いけど、すべての人に、平等にそうなれる可能性があるんですよと言われていた。
同様に、平凡な可もなく不可もない人間で終わることも、また、餓鬼畜生のような人間で終わることもある。
人が、どのような人生を送るかは、すべての人にいろんな可能性があるそうだ。
どんな人生になりたいのか、それはやはり、その人の発願次第という気がした。
発願とは本来仏教用語で、仏道を極めるために比叡山に入門する時などに、発願すると言うそうだ。
ワールドメイトでは、神様のために何かを期して、願いを発する時に使っているけどね。
宗教の教えにもいろいろあるけど、仏教には一切経典という膨大な教えが残されている。
教えのポイントは3法印に集約できるけど、お釈迦様は対機説法をされていたので、様々な相手を救うための教えが膨大にあったようだ。
それらを読むと、救いや求めていることへの答えが、どこかにみつかったりするのだろう。沢山の人がそれによって救われてきたのだろうから。
キリスト教も、聖書の中に教えが残っているし、それによって多くの人が救われたのだろう。
また、宗教の教えではないけど、老荘や宋学など、道を学ぶおしえもたくさん残っている。
このようにたくさんの教えがあると、つい学ぶのが大変だなと思ってしまうけど、本当はありがたいことだと思うべきだよね。
内容も難しいし、わからないこともたくさんある。レベルがそれだけ高いわけだから、それを一生かかって学んでいけることをありがたいと思えるようにしたい。
ましてや現在進行形で、時代に即したやり方や教えを次々に残してくださる深見先生がいらっしゃるワールドメイトは、最もありがたいところだと思う。