異常気象やら、自然災害やら、すっかり日常的になってしまった。
はたして20年前に、何人の人がこんな地球になると予測しただろう。
その当時も、すでに兆候はいたるところにあったとは思うけど、まったくビンと来てなかったなぁって、振り返って思った。
20年前にはすでにワールドメイトに入会していて、その頃書かれた深見東州先生の著作「心の金縛りがとける本」の一節に、
「人それぞれに苦労はあるだろうが、時代全般としては、今は幸せな時である。しかし、なんの努力がなくても、嬉しいとか、楽しいとか、面白いとか、明るく元気に生きられるのも、ここ数年のことである。それから先はどうなるのかというと、なんとかお助けいただきますように、なんとか乗り越えられますようにという、必死の祈願の連続になると神様はおっしゃっている。
特に2005年くらいからは、それがいよいよ厳しくなるだろう。環境汚染や環境破壊だけではない。天災もあり、人災もあり、病気も増えていく。助けてくれ、と泣き叫ぶ時代がやってくるのだ。なぜ私が、信心の誠の確立をやかましく言うかというと、この数年間でそれを確立していないと、そのあと生きるのが辛くなってしまうからなのだ。
例えば水害が起こって、目の前で子供が波にさらわれたとする。とても悲しいことだし、そのことで自らも生きる気力を失くしてしまう人もいるだろう。しかし、信心に生きる人間は、これも神様が与えてくださった貴重な試練だと受け止め、その試練を乗り越えて立ち直って強く生きていけるだろう。
また、集中豪雨で家が流されたとする。どんなに嘆き悲しんでも流された家は戻ってこない。水が引くまで待って、たくましく復旧作業に取り組むしかないのである。そのとき、これも御魂磨きだと受け取れるかどうかということなのだ。大事なのは、おのれを救うということである。それも霊的に救うのである。おのれの心も救えない人間が、どうして人や世を救えようか。肉体的なものや物質的なものを救えるのは、そのあとのことである。」
ということが書かれていた。
今、本当にそんな時代になってきたと思う。
ちなみに2005年というのは、あのハリケーン・カトリーナの大災害が起きた年だった。
そして、2004年の12月26日には、スマトラ沖大地震と大津波が起きた。
その二つの象徴的な大災害を機に、本当に自然の脅威が日に日に増し続けていると実感する。
また、災害が起きるたびに悲劇に巻き込まれる人たちが大勢出てくる。それが現実であり、いつ誰の身に、その不幸は襲いかかるとも限らない。
過去の自分だけは安全だという想定は、誰にも通用しなくなっているからね。
たとえ家族に不幸があっても、残された人たちはたくましく生きていくしかない。
生き延びた人たちが不幸になっては、亡くなった方たちだって浮かばれないだろうから。
先日来日したドミンゴも、今や絶頂というときに家族同然のような親族をメキシコ地震で失い、ショックで半年以上も仕事をキャンセルしたことがあったそうだ。
でも、そのあとは立ち直り、それから真のスーバースターへの階段を上り詰めていった。
そういう悲劇から立ち直って、かえって成功を掴んだ人は、世の中にたくさんいるよね。
信心の力か、その人の御魂の力か、そうやって不幸から立ち直って、見事に頑張っていく人は素晴らしいなと思う。
でも、そうできずに、辛い過去に苦しんでいる人もたくさんいるからね。
そういう人たちも、なんとか救われるように、陰ながらワールドメイトで祈りたい。