深見東州先生は、よくその無尽蔵のエネルギーはどこから来るのですか?と、メディアや、親しくしている方達から聞かれることがあるそうだ。
数年前のバースデー個展の挨拶では、エネルギーの源として、3つのことを話されていた。
一つは強い使命感や志をもつこと。欲望のためでなく、世のため人のために生きる。常に進歩向上することを考え、学び続けること。
そんな感じだったと思う。
ただ、これは聞いている人たちが、政治家や芸術家、スポーツ選手など、ワールドメイト会員ではない人たちだったから、宗教的な、抹香くさい話にならないように話されていたのだと思う。
ワールドメイト会員には、その話に加えて、もっと本質的なところまで掘り下げてお話される。

それは、神様に支え奉る、奉仕の精神で何事もされているから、疲れを知らないでやることができるそうだ。
たとえば会社の仕事をするときでも、深見先生は、神様への奉仕と思ってされている。奉仕の精神で働かれている。
自分もそうだけど、普通は労働者として賃金を得るため、生活のために働くという人が多い。
もう少し前向きな人でも、何か自分の夢を叶えるために、お金が必要だから働くという感じかな。
だから奉仕の精神で働くと言われても、なかなか理解できないかもしれない。
特に欧米的な契約による雇用形態になってくると、奉仕の精神とはかなり離れているからね。

ところで普通は、仕事で嫌なことがあっても、お金のために、生活していくために、我慢して頑張る人が多いと思う。
それが、人々への奉仕の精神でやると、どうなるのか?
善意で尽くしていても、必ず文句を言う人、わがままを言う人がいるから、奉仕の精神なんて崩壊するか、バカらしくなってくるかもね。
ここで言う奉仕の精神とは、上司や人々へ向けるのではなく、神様へ向けることが大事になる。
神様への奉仕の精神で仕事をすると、不快なことがあったとしても、そんなことで挫けたりしなくなる。
そして神様からは、ご苦労さまと、御神徳という歓喜、元気をもらえるから。
疲れて動けなくなるほど頑張っても、なぜか疲れを感じないし、逆に元気になるんだよね。

自分の器に見合う分しか神様の役には立てないし、人の役に立てないから、自分を磨くために勉強や研鑽は必要になるけどね。
神々様の世界もそうなっていて、それと同じような気持ちでやっていると、神様が元気や知恵を与えてくださるわけだよね。
ワールドメイトでは、このことをしっかりと教えてもらったし、実際にそのことをからだで体験してきた。
もちろん奉仕の精神でやっていても、必ず何か困窮することが、やってくるんだけどね。
それは、また別な意味があり、その人の悪い因果を早く抹消するために起きている場合が多い。
それについては、長くなるので別な時に書きたい。
前回の記事に書いたように、深見東州先生は人々のために尽くして、世界中で数えきれない人々を救ってこられた。
また、人々を救うために神様の力をふるいおこしてこられた。

人々のために神様を活用されているように思えるけど、実は神様のために、人々を救われているんだよね。
神様への奉仕の精神があって、神様が願われるから、謙虚に神様のお取次をされている。
親友であり、一緒に活動をされているカオ・キム・ホルンASEAN事務総長が、なぜカンボジアのためにそこまで尽くされるのですか?と聞くと、カンボジアの神様が、カンボジアの人々を救ってほしいと言われたからと話されていたと思う。
