今回は、深見東州先生の10年前のラジオ番組「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」の記念すべき第一回を紹介しようかな。
はじめは、過去のラジオ番組の経歴に触れ、その後、なぜ、深見先生はたくさんのことをするのですか?という学生さんの質問に答えられた時の話をされた。
深見東州先生の一端を知るのに役立つ内容なので、少し抜粋しながら、紹介するね。
こんばんは〜、深見東州です。
毎週金タマ曜日、アレ、毎週金曜の、この時間、今夜から始ったこの番組、30分という短い時間ですけれど、私とあなたをつなぎながらお話ししましょう。どこで何をつなぐのか、時間をつなぐのか、いえいえ、心をつなぐのです。
おそばでも、つなぎっていうのが、二八ではあるんですけど、つなぎのないおそばもありますね。
西荻窪に鞍馬(くらま)というそばやがあって、そば粉になったら乾燥しているんでつなぎがいるんだけど、そばの実を挽いたときにしっとりとした水分が残っていて、それでつなぐんですね。
あれもつなぎがないのに美味しいおそばができるんですけど、私たちはそういうことで物理的にはつなぎはないんですけども、電波を通して、心がつながれるということで・・。
そういうことで、いろんなお話しが出てくるんじゃないかと。ラジオというと、私は35才のときかな、ラジオ関東、今のラジオ日本「今夜もウェルカム」というオカマの〇〇さんという司会者とやっておりまして。
月刊ゲイとか月刊薔薇族に連載しているという知性と教養のあるオカマでした。それはおもしろい番組でしたけどね。
半年続いて、その後、酒井ゆきえさんの「ハートのプラネタリウム」をTBSで3年間やりました。
それから、東海ラジオで「SEIZAN KENZAN(セイザンケンザン)」という番組を3年間やりました。同時並行でFMで22年間、鈴木弘子さんと朝の番組で「さわやかTHIS WAY」というのをやっていました。
鈴木弘子さんていうのは、ロミー・シュナイダー、カトリーヌ・ドヌーブの吹き替えの声で、本当に、声もセンスも姿も顔も美人でね、おもしろい方でした。それと何年か前、3年間、NACK5の番組をしておりました。
「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」ということで、ここにいるのは私と放送作家の東海林さんといいまして、さだまさしさんのセイヤングやっておられた方で、今は歳をとられてセイオールドになってきましたけどね。
東海林桂(しょうじかつら)といいましてね、木偏に土の、カツラつけてもいいぐらいちょっと、お髪のほうが風と共に去りぬで。東海林さん、目の前で指示されるんですけど、絶対、指示されたようには話したことがないのでね。
その指示を無視するために、指示していただくという、本当に最小限の構成の文章なんですけど、ときどき必要なことをいっていただく、結局さだまさしさんもね、「おい、そんなところで紙見ないでなんとか言えよ、東海林」ということで、出てこられたんで、そういう雰囲気なんですね。
この方ね。あとでご紹介しますので、今夜も、今日という日が終る時間までおつき合いくださいますように。よろしくどうぞ。

この先は、今回の本題のようなお話が続くよ。なかなか濃いお話になっていくけど、なるべくそのまま紹介するね。
まず、番組のパーソナリティ、私について、実は深見東州、本名半田晴久、又の名を戸渡阿見というんですが、10人ぐらいいるんじゃないかとか、架空の人物じゃないかとか、よくいわれます。
みすず学苑という予備校でね、生徒と話すると、だいたい合格祝賀会なんて最後にやるんですけども、そのときに聞くんですよね、「あのーお聞きしたいことがあるんですが」「こんなにたくさんのことをなさっていて、最終的には何が目的なんですか」「こんなにたくさんあるんですけど、いったい本業は何ですか」と。
そういうことを何回も聞かれましたね。その時にいつも答えてる。キミねえ、聞いている気持ちはいかにも普通な人間が、普通に考えて普通に聞いているという普通の質問だよ。
キミに対する答えをいってあげるとね、種田なんとかという人でね、20カ国語をペラペラという本がありましてね、20カ国語をもちろん話せるし、聞けるし、書けるんです。最初の3カ国から4カ国語は大変なんだけど、それから以降は、英語っていうのはフランス語から来ている英語、それからラテン語から来ている英語、それでもう6割以上です。2割か3割が新しく出来た英単語っていわれているんです。そういうふうに、類推できるわけですね。だから、どんどんどんどん5カ国語、6カ国語、7か国語って。あとはインプットされている知識によって出来ていくと。
スウェーデン語はスウェーデン語っていう世界があるから、スウェーデンにいくとずっと間違わずにスウェーデン語の話ができるし、イタリア語にはイタリア語の世界があるんで、ずうっとイタリア人とイタリア語の話ができて、中国語には中国語の世界があるんで、全部中国語でできて、混同しないで20カ国語できると。
こういう一人の人間が20カ国語ペラペラしゃべっているのに、何か一個に絞るとか、なぜたくさんする必要があるのですかと聞くのかって。
そういう語学の習得している人を見たらば、最初の3カ国語までは大変でも、あとは加速度的に易しくなっていくし、広がって行くし、一個一個、その世界っていうふうに受け取ると、間違わずに、その世界はその世界でやれるんだ、語学っていうのは。
それと同じで、こんな人いるのキミ知っているか。(生徒)ハア
それから、まったくピアノ弾けない人というのは、僕も35才からピアノをやったんですけども、まずピアノをやる一つの壁っていうのは、もちろん指づかいいもそうなんですけども、全くゼロからピアノをやってですね、1日13時間とか、18時間とか。
最初は、渚のアデリーヌからやりましたね。まあ、普通のバイエルンとかやっていくと、つまらない、心理的なものがおもしろくないんで。
それは小っちゃい時しか出来ないんで、35才からやるっていうのは、知っている曲で、これを何とか弾きたいというので練習できるので、やっていたんですけど。
毎日13時間とかずっとピアノやって、あるとき、何日目かのときに、左手と右手がバラバラに動いたときにものすごく感動しましたね。
左手と右手がバラバラに、右はメロディ、左は和音。左手と右手がバラバラに動いたというときに、1週間ぐらい喜びと感動が。ピアノを弾かない、弾いたことのない人間は、左手と右手がバラバラに動くなんていうことは、そんなことよくできるなと思うだろう。
それだけじゃないですよ、エレクトーンはどうかというと、右手でメロディを弾きながら、左手でコード、和音弾いて、足でボンボンボンボンって低い音をね。時々スイッチをピッピと入れて、音色を変えていく。
これが一つの曲となって同時に右手と左手と足とバラバラに動きながら、おまけに歌を歌う人もいる。
エレクトーン奏者っていうのは、同時に右手と左手と足とバラバラに動き、そしてスイッチを時々入れ替えて、音色変えて一つの音楽を奏でるということが、全くピアノを弾けない人から見たらそんなことよくできるなと思うけども、エレクトーンというのはそういう楽器なんだ。
だからそういうふうに、僕も音楽とか、絵とか、能とか、京劇とかみんなプロフェッショナルですけどね。
まあそんな最高度のものというわけでもなく、多くのものが両立するにはどうなのかというとき、全部中途半端でいいと。
芸術も人生もすべてのものは、完成っていうものがないからね。どの程度のレベルの完成度なのかっていうことで、絶対的な完成はないので、プロセスでいいんだと。中途半端で終ることがよくないんで。
中途半端なまま、10年続け、20年続け、30年続け。まあラジオもそういうんで、ほぼ30年続けています。
35から僕も絵をやって、今はもう30年目かな、29年目ですかね。歌も40才から声楽を始めて、44から音大受験を目指して、クラッシックの音楽理論を44才から勉強し始めたんですね。
ずうっとそれをやめないで、44からやって今64才、sixty-four years young.
sixty-four years old と英語でいいますけど、20年ずうっとやめないで同時並行でやり続けている。
しかも、素晴らしい先生に謙虚について学びながら、ずうっとやめないで永遠に未完成のままでいいと。
それを30年、40年、50年続けると、みんなプロフェッショナルになる。70年、80年続けると全部巨匠になっていきます。
最低10年続けると、お茶とか、お華とか、書とか、謡いなんかでも全部、看板もらえます。
書も、僕は大東文化大学の書道教授のアレがありますけど、あと謡曲ね、宝生流の謡曲を教える看板が。日本芸術は4つ看板があります。
10年ぐらい、こつこつこつこつ至らぬながらも先生についてやっていると、いつの間にか、継続しているとみなプロになっている。
そういうことでですね、たくさんのものを同時にやるというレオナルドダヴィンチとか、ミケランジェロとか、空海だとかっていう人がいるわけなんで、キミらの普通の考えの普通の価値観の普通の人間が考えているというのではない、そういう価値基準、規範に生きている人もたくさん歴史の中にいるし、今の日本にも世界にもいるわけ。
知識がないからそういう自分のもっている価値判断で、学苑長のことを当てはめようとするなと。
世の中いろいろ、人生いろいろ、人生いろいろ~、島倉千代子の歌だけど。小泉純一郎がいっていたけども、受験生は古すぎて分からないと思うんだけどね。
室町期の芸術家の道を目指しているんで、ゆっくりとまた今度、室町期の阿弥(あみ)の芸術家の道っていうのをお話ししますけど。
そういう室町時代の世阿弥、観阿弥、本阿弥、阿弥という名を名乗った日本型ルネッサンスの人はどういう価値基準でやっていたのかを理解したら、なるほどそういう価値基準フィロソフィーでやっているんだなということがわかるんで。
先ほどの話ね、そういう普通なのは、なんでこんなにいくつものことをして、本業は一つじゃないかとか、最終的にどういうところに・・・。
最終的にはバラバラのままいって、バラバラに行くんだと。
例えば、神道と道教なんかもね、似てますけども、道教はなんでも天という概念で考えるんだけども、神道は高天原と葦原の中つ国、根之堅州国、根の国底の国という全部横つながりで行ったり来たりしてるんですね。
だから、一神教の人たちっていうのは、神なる造物主がおって、造ったものと造られたものというふうに考えるんで。
そういうふうに物事を一神教的に考えるのもおれば、ギリシャとかローマとか、ノルウェーとか古来は多神教で、日本人のルーツは多神教です。
どこまでもバラバラでいくというポリシーが一貫しているという。
誰が一つにまとめないといけないと決めたんだと。
大自然はみなバラバラで。マイベイビーベイビーバラバラ~という、古い歌ですね。バラが咲いたバラが咲いた~古いですね。
とにかくバラバラでいいじゃないかと。一つにまとめるって誰が決めたんだ。
それは知的に自分なりのコンセプトでまとめるというんだけど、そうじゃない、感性でバラバラのまま、バラバラでいって、バラバラのまま死んでいくというわけなんで。
しかし、バラバラに見えても一貫するものがあるんで、それは境地というものが一貫している。
これが禅僧というのが見性、悟りをひらいた後、絵を描こうと、書を書こうと、禅問答をやろうと、華を生けようと、みんなそこには内的境地が反映されている。
内面的境地、悟ったものが作品となって、そこに顕現し、現われ出てるという。こういうのは禅的なものの考え方。
もう一つは、ルネッサンスもヨーロッパ型ルネッサンスと日本型ルネッサンス、16世紀のときにメディチ家、が財政援助してジオット、ラファエロ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチっていうのが代表的ですけど。
ルネッサンスとは何かというと、紀元前500年前のアテネの時代に復興していこうと、これがルネッサンスです。
紀元前500年というのは、多神教で、神様が造られた、自然が造った肉体こそ芸術だということで、みんな裸になったり、裸像があるわけですよ。それは美しいもんなんだ。その原点に帰っていこうというものがルネッサンスなんですけど。
日本型ルネッサンスというのは、100年ぐらい古くてね。阿弥という言葉をつかった人が多かった。
能をつくった世阿弥、観阿弥。それから能阿弥という人が、将軍足利義政のときに、東山御物という、要するにお道具とかお茶事だかで、大事な室町期の宝物っていうか値打ちのあるようなものを選定した人。
能阿弥というのは、書道だとか茶道だとかいろんなものをやった万能の人ですね。
それからもちろん世阿弥、観阿弥、能阿弥、左阿弥。一番有名なのは本阿弥光悦ですね。阿弥の中の本阿弥だというんですから。
阿弥ってなにかというと、一遍上人の時宗に影響されているといわれているんですけど、南無阿弥陀仏からきているんですね。
南無は帰依するという意味ね、陀仏は出家。南無は俗人です、陀仏は出家人。阿弥というのは南無と陀仏の間にはさまれた言葉なので、出家でもなければ、俗人でもないと。
逆にいうと、俗人でもあり、出家人でもあるということなんですよ。どこまでもどこまでも芸術を極め、芸術というものを常に精進していくプロセスで自分の魂を磨き、内面性を磨くその表現として書があり、絵があり、彫刻があり、陶芸があり、お茶事がありというふうに考えているわけです。
ですから、死ぬまで、芸術を精進し努力していって自分の中身、魂を磨いていく。芸術作品というのはその表れなんだという考え方でやった人が阿弥という名前を好んで使ったわけですね。
そういう人たちが能をはじめ、茶道をはじめ、書院造りだとか、東山御物を選定したりという、室町期っていうのは「いぶし銀の美」という日本型の美意識が生まれてきたのは足利義政の時代ですね。
銀閣寺の美しさ、いぶし銀、銀の美しさ。義満の時代の金閣寺の輝かしい美しさに対して、銀閣寺の渋いいぶし銀の美しさ。
渋みとかいうこれは日本的美意識。これは老荘思想もありますし、禅の思想もありますけども、阿弥の思想、内面の光を殺した渋い輝きというのがね日本型美意識で、ワビとかサビとか渋みとかいうのも室町時代に日本人の美意識っていうのは完成されたといわれている。
日本流の書にしてみても、お茶も、お華も、能もだいたいみんな室町期に日本の今残る芸術っていうのが確立されたわけです。
そういうようなことを考えてみたら、日本人が日本人なりのルネッサンス人間、ヨーロッパ人と比べて、日本の文化のアイデンティティは何かというと、阿弥の生き方なんだと。
それで、僕のペンネームが戸渡阿見(ととあみ)っていうわけです。「とと」はエジプトの文字の神様が「トト」っていうね。顔が鳥の顔をしてるんですけど。
「あみ」というのは日本型の室町期の芸術家の生き様。これが合体しているのが「ととあみ」というので、漢字を当てはめて私のペンネームにしているわけです。
そういう日本型の室町期のルネッサンスで「阿弥」という名を名乗った人たちの芸術家の生き方というのは、そういう生き方だから。絵でも、書でも、陶芸でも、本阿弥光悦なんか刀剣の鑑定なんかしていましたから。
なんでもやるんだけども、それらを通して自分の中身を磨いていく、芸術というものはそういう自分の魂や内面を磨くツールで、作品というのはその表れなんだと。
こういう禅的な芸術的な考え方。室町期の日本型の芸術家の生き様という、そういう知識があったらキミ、僕にそういう普通の人間が普通に聞くような普通の質問はしないはずなんだけども。
受験生にそんなことをいうのは無理かもしらんけど、将来こういう人間もいるということを頭で考えて、なんでも自分の価値判断と物の基準で人を見ちゃいかんよ、ということを毎年受験生に。同じ質問をされるんですね。
毎年同じように答えていますから、全国の皆さんもそういうふうに思った人は、なるほどそういう物の考え方があるのかということも知っていただければいいんじゃないかと思います。
という感じで、第一回目は終わったけどね。
最後に、いろんな駄洒落をかまされながら、お別れの挨拶も、「それではまた来週、いや、まただけ来週じゃなく、全身で来週です。」笑
