ワールドメイトの定例セミナーが久しぶりに復活する。
深見東州先生のお話は、ここ数年、ワールドメイトのオンライン勉強会などで、たくさん聞けてはいるんだけどね。
でも、大きな会場を借りて開催される定例セミナーとなると、また、違った楽しみを感じてしまう。
まぁ、ワールドメイトに入会してからは、毎月開催される関東定例セミナーや、定期的に開催される関西や名古屋、東北、北海道、九州、四国のセミナーが、その当時の御神業の楽しみだったし、それで多くのことを学んできた経緯があるからかな。
会場に足を運んで、毎回、毎回、なるほど!、そうか~!見たいな感動と納得の連続だったけどね。
あの頃と今では、御神業のやり方はずいぶんと変わったよねと、思ってる会員は多いけどね。
でも深見東州先生自身は、あの頃も今も、表面的なことはともかく、どこまでもチャレンジし進化し続ける本質は変わってなくて、本当は変わったのは自分たち会員なんだろうけどね。
今ひとつ、深見東州先生の活動の進化の速度についていけてない気がするから。
銀座・HANDA Watch World 天神西通り本店
まぁ、それはともかく、明日の定例セミナーを前に、過度な期待感は持ちすぎないようにしようかな。
考えてみると、これまで多くのことをワールドメイトで教えてもらったけど、中庸の教えというのが特に印象に残っている。
中庸というのは、偏りがなく、調和が取れているみたいな説明がネットには載っているけど。
それも間違いじゃないと思うけど、深見東州先生の言われる中庸は、もっと実践的であり、生活の役に立つ教えなんだよね。
例を挙げると、ワールドメイト会員の中にも、時々勘違いしている人がいるんだけど、神様に祈ったり、神事に参加しただけで、何かすごい功徳がくると思っている人がいる。
実際、そんなこともあるにはあるけど、祈ったり、神事を申し込んだだけで、なんでも変わるわけではないよね。
やっぱり努力して、実際の行動に移さないといけないし。それもいろいろ研究し、とことんまでやった時に、本当に願いが叶ったり、素晴らしいことがあるから。
そう聞くと、努力が必要なことは当たり前のことだし、今度は、祈っても何も変わらないのではと思う人も出てくる。
ところがやれる限りの努力や精進をすると、はじめは結果もついてくるんだけど、そのうち行き詰まっていく。
そこで、どうしてだろうと悩み、こんどは神様に深く祈るようになっていく。
何日も、しつこくずっと祈っていると、また何かが動き出すんだけどね。
今度はもっとこんな努力をしてみようとなっていく。
何が言いたいかというと、中庸が良いからと言っても、一度でもいいから、極端から極端なことをやってみないと何が中庸なのかわからないんだよね。
一方向に突っ走って偏ってしまうと、どこかでどうにもならなくなって、今度は逆の方に走り出すとする。
そうやると今度は逆方向に偏ってしまうけど、そこまで行くと、そこからまた反転がはじまる感じかな。
そんなことを何度も何度も繰り返していくうちに、だんだんと中庸になっていくようだ。
その中庸というのは、真ん中にいてバランスをとっているわけではなく、その行いにとっての絶妙なツボに入っている状態を指すから。
大谷翔平選手を例えに出すのが良いのかどうかわからないけど、二刀流として打撃も投球も、どちらも最高に良い状態にいる感じなのかも。
そんなツボに入ってる状態を、異世界の住人とか、神レベルとか、ユニコーンみたいに言われるんだろうけどね。
中庸に入ると、その人なりに神がかっているというか。それは過不足なくバランスが良いとかではないし。
言葉での説明はうまく理解できないし。なぜなら、正反対に思える内容を、同時にやれてるような状態だからね。
深見東州先生の場合は、さらにその上をいく、同時にいくつものことを並行して行い、全て成功させるんだけどね。
それは、そのひとつ一つについて限界まで努力してこられたことがあり、それに究極の祈りと、その時に必要な努力がプラスされて、同時に全てができるという、人間離れしたことができるんだろうなと思ってる。