昨日は、深見東州先生のラジオ番組のことを少し紹介したけど、名前の言葉の音に意味があるとか、あるいは画数に意味があるとかは、信じる人もいれば信じない人もいると思う。
手相もそうで、手のこの線にこういう意味があり、こういう時はこうなるとか、いろいろな意味があるわけで、一般に手相占いといわれているけどね。
ワールドメイトにも占いについて詳しい人がいるけど、占いというよりも一つの学問として捉えているそうだ。
もちろん学会があるわけでもないし、アカデミックなスタンダードな学問ではないけど。
もっと時代が進めば、そういう学問の分野も確立する可能性がないとは言えないよね。
キリスト教では神学がしっかりと確立しているし、神を信じることを前提とした学問の分野として、大学でも教えている。
とするなら、占いを信じることを前提にした学問として、将来確立してもいい気がするけどね。
ところで日本人は占いを信じる人は多いけど、神様を信じるという人は、海外に比べると少ないようだ。
でも、そういう人でも荘厳なたたずまいの神社や寺院に行けば、やっぱり手をあわせるから不思議だけどね。
まぁ、そのような傾向は現代になってからだろうから、昔はもっとみんなが神仏を信じていた時代もあったようだ。
それで神様を信じるという人でも、ワールドメイトの深見東州先生ほどの人はいないと思うし、どこかみんな中途半端な部分はあるのかなと思う。
目に見えない神様を信じるわけだから、ある程度は仕方がないのかなと思うけどね。
でも神様を信じている人たちが集まっていると、そして適切な指導をしてくれる人がいると、その信仰も続き、だんだんと深まっていくように思う。
しかし一人だとなかなかそうはいかず、ましてや周りに信じない人が多いと、いつの間にか世俗的というか即物的な思考に染まって、信仰の感覚から遠ざかってしまうと思う。
そうなると、なんとなく信じてはいても、神様との距離は縮まらないどころか離れてしまって希薄になっているよね。本人的には、それでも信仰と思っている人もいるけど。
そういうことを考えると、日本において宗教団体の果たしてきた役割というのは、けっこう大切なんだと思う。今さら言うのもなんだけど。
深見東州先生は、ワールドメイトの支部が、いつも温かい感じの支部になるように目指してあるけど、そこがみんなにとって、信仰を育む大事な拠点になるからね。
そこがわかっている人は、コミニティーをしっかりと大事に育ててきたと思う。
もちろん最終的には、信仰は神様と自分という、1対1の面があるけど。
でも、それが確立するまでは、支部という竹林でお互いに励まし支えあっていくことが、非常に大事なことだと思う。
信仰もしっかりと確立するまでは、けっこう折れてしまう人も多いからね。
過去にワールドメイトを退会した人たちも、そういう人たちなんだろうなと思う。
そういう人も幸せになるように、ワールドメイトでは祈るようにしている。