島田裕巳さんという宗教学者さんが出ている人気ユーチューバーさんの動画で、ワールドメイトのことが取り上げられていたので見てみた。
深見東州先生は若い頃、歳をとってから評論されても直しようがないので、今のうちに問題のあるところをたくさん指摘してもらい、それを踏まえて良い活動をしますからということで、宗教評論家や宗教学者さんのもとも尋ねられていたそうだ。
その1人に島田裕巳さんもいたようで、その頃から、いい指摘や批判をもらっていたそうだ。
この動画の中でも言われていたけど、そもそも深見東州先生がギャグ溢れる明るく開放的な宗教像を研究されだしたのも、島田裕巳さんの言葉にヒントを得たからだった。
あの平成5年の七福神に扮してのワールドメイトの記者会見も、島田さんや当時の宝島の編集長からのアドバイスで、あんな面白い会見にしたらしいし。
「人権を奪われてしまい、人間じゃなくなって七福神になりました」というギャグを飛ばされていたけどね笑
まぁ、もともと深見先生は面白い人なんだけど。
ちなみにその人たちのアドバイスは、「人権や信教の自由なんて訴えるのは古いですよ。結局マスコミは宗教が閉鎖的で暗くて排他的なものなのだと言いたい。だからテレビは他に良い素材があったとしても、そういうところは流さない。宗教団体が、このカットはダメ、と言いたくなるような映像ばかり流すわけ。だから、逆に開放的で明るくて面白くて、世間をからかってやるくらいの姿勢の方が新しいですよ」というものだったそうだ。
言われてみると、良い内容は昔からあるんだけど、深見東州先生がされている社会貢献のことが書かれだしたのは、かなり最近になってからのことだと思う。
それも、まだ一部のマスコミが書きはじめただけで、特に広く報道されることもないし。
それからその記者会見で、「なんで深見さんはマルサに狙われたんですか」と聞かれて、「たぶん、私の顔がヤギに似ていたから、スケープゴートにされたんでしょうね」とジョークで答えられると、テレビ局は「スケープゴート(神の生贄)」とわざわざテロップまで流したらしい。
悲しいけど、宗教のことはできるだけあやしい感じに報道する方が、みんなの興味の対象になりやすいんだろうなと思う。
まぁ、自分もワールドメイトに入会するまでは、宗教をそんな感覚で見ていたと思うので、人のことは言えないけど。
そうやって、だんだん宗教に対する偏見は助長されていくんだろうけど、並行していくつかの宗教団体が社会的な問題を起こしたりと、それも決定的な偏見の要因になったのかな。
全部の新興宗教が同じような問題を起こすわけではないのに、同じように見られてしまうようになった気がする。
ちなみに、ワールドメイトもいくつか問題があるような騒がれ方をした時期もあったけど、それに関してはこちらに真相を書いてるので、知りたい人は読んでみてね。
ワールドメイトと深見東州先生への疑問
ここ数年、ワールドメイトに関する週 (月)刊誌の記事が増えてきた。ワールドメイトというよりも、まず深見東州先生について、いろいろと、活動内容や評判が書かれているものが多い。そこから、深見 ...
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それともう一つ言えるのは、新興宗教に対する偏見は、宗教というものに無知すぎるというのもあるのかなと思う。
今回の動画にも、いろんなコメントがついてて興味深かったけど、ネット上には新興宗教に対するネガティブな意見が多い。
たとえば宗教には祈りの儀式が欠かせないけど、キリスト教やイスラム教だったら、映像や写真なんかで見慣れているし、海外の伝統ある宗教というのもあって、怪しいと思う人はいないよね。
むしろ、ミサなんかは荘厳な雰囲気で、オシャレとまでは行かないまでも、広く受け入れられていると思う。
神道や仏教でも、神主さんやお坊さんが祝詞や読経しているところは、別に怪しいとは思わないと思うし。
好き嫌いはあると思うけど、むしろありがたいと思われているよね。
でもこれが新興宗教だったらそうはいかない。
たとえばワールドメイト会員が神社で祈るときは、かなり長い時間、おでこにしわ寄せて祈ったりするので、はたからみると怪しいと思われているかも。
なので、神社で祈るときはできるだけ隅っこで、邪魔にならないところで祈るようにしているけどね。あと、お祭りとか初詣のような大勢の人か来るときには行かないようにしている。
やはり見慣れない感じの祈りをみると、違和感を感じたり、怪しく見えるだろうからね。
本当は、なぜそうやって祈るのかには理由があるし、理屈抜きに祈りのパワーを実感できるからそうやっているんだけどね。
でもこういう宗教的なことに関しては、それを説明しても誰でも同じように理解できるかというと、かなり難しいのかなと思う。
根本的な向き不向きの問題とでもいうのか、たとえば学生でも文系と理系に分かれていくように。
理数系の難しい学問に強い人もいれば、文芸や芸術的なものに長けている人もいるように、宗教的なものに関しても、得手不得手があるような気がする。
残念なのは、もし、そう言う宗教的なものが苦手な人、よく理解できない人が、新興宗教を批判的な目で見ているとしたら、それはちょっと悲しいかなと思った。
絵や音楽のことがわからない、苦手だからといって、画家や音楽家のことを批判的に見る人はあまりいないと思うけど、宗教に関しては、宗教のことがよくわかってない人ほど、宗教に対して偏見を持って批判しているとしたら悲しいことだよね。
どうも、そんな人が多いような気がしたので。
あと、新興宗教に入信したけど、組織や人間関係などで嫌な目にあった人が、腹を立てて否定的なことを書きたいという気持ちはわかるけどね。
他の宗教のことまでは入信経験がないので書かないけど、ワールドメイトに関して言えば、会員も組織もおだやかだし、いい人が多いとは思う。
それでも、いろんな人が入会してくるから、中には相性が悪い人もいるだろうし、少し激しいタイプの人とか、やりにくいタイプもいたりする。
一般的な社会の厳しさを体験した人からすると、とても居心地がいいところなんだけど、やはり、人間関係などが原因でやめてしまう人もいると思う。
おそらく、そういう理由で辞めた人たちは、わりとまじめで優しい人が多いのかなと思う。
だから嫌らしい人とか、変な人がいることが許せないのかなと思う。で、我慢できなくなって辞めてしまう。
神様に関心がない人はワールドメイトに入会しないと思うけど、いくら神様のことを好きだと言っても、必ずしも性格が良く、物分かりがよく、常識がある人ばかりとは限らないからね。
だから自分自身が優しくて潔癖な人は、そんな人たちを許せないというか、許容できず、うまく対応できずに苦労するのかもしれない。
ある意味、自分のようないい加減な人間は、やりにくい相手がいたとしても、おだてたり、あやしたりしながら、適当にうまくやるんだけどね。
まぁ、世の中にはいろんな人がいるので、できるだけ人間理解を深めることも、大事なのかなと思っているけど。
神様は限りなく潔癖で悪の要素がないにしても、人は悪どいところや、わがままでどうしようもない部分を持ってることが多いからね。
でも、神様からすると、そんなどうしようもない人や歪んだ人でも、なんとかして救ってあげたいと思っていると思うし。
ということで、話はいろいろ飛んでしまったけど、宗教や神様というものに対する根本的な理解や、人間に対する理解を深めていくことで、いろんな問題も少しづつ解決していくのかなと思う。
そして本当は学問や芸術と同じように、宗教性も人として身につけておくべき大切な要素の一つなんだろうけどね。
大事なことは、真善美をまんべんなく磨いていくことだとわかってくると、宗教に対する扱いも変わっていくのかな。