湯豆腐のように美味しい、国民のコンサートに行ってきた。
やっぱり、日本の心を歌うと、深見先生のように歌える人は、なかなかいないんじゃないかな。
日本の昔からある歌曲だけを、たっぷりと歌われたけども、意外と早く終わった。曲が短いからね。お話もあまりされてなかったし。
アンコールではみんなで国歌斉唱したけど、国民のコンサートにふさわしかったかも。
クラシックのリサイタルで、中身が日本の歌という感じのコンサートだったと思う。
まだ、明日観に行く人もいるから、とりあえず、感想はこのぐらいにしておこう。
ところで、先週の「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」で、深見先生に手紙による質問で、コンサートで歌うときとか、あるいは著名人に会うときなんか緊張しませんかというのがあった。
そういえば、未だかつて深見東州先生が緊張しているところを見たことがない。ワールドメイト会員でも、見たことがある人はいないと思う。
なんで、いつもあんなにリラックスして自然にできるのかなと思ったことはあるけどね。
それに関して、コンサートや、演劇、バレエとか、そういうものをするプロフェッショナルな人たちは、本番やここ一番の時にいかにリラックスするのかという技術を訓練しているそうだ。
リラックスすればするほど、柔らかい声が出るそうなので、それがベストなんだということで、そうなるようにイメージやメンタルコントロールをしているそうだ。
昔、大勢の人前で話すときには、人間じゃなくてカボチャだと思って話せば緊張しないし、上がることもないなんて、何かで読んだことがある。まぁ、そういうイメージを持つのも、一つなんだろう。
しかし、リラックスすればいいのはわかっていても、実際にそう簡単にはいかないし、どうしても緊張してしまうよね。
それで、深見先生の場合、どうされているかというと、昔、カーネギーホールのチャリティコンサートで、ミュージカル南太平洋から「魅惑の宵」を歌われた時のことを話されていた。
あとでビデオで観たけども、ものすごくいい声で歌われていて、最高に良かった。本番に強いという深見先生のイメージは、ここから始まった気もする。
その時に、ピアノの水谷先生という、深見先生のピアノ伴奏などをしている人から、カーネギーホールでアメリカ人観客を相手に、英語で「魅惑の宵」を歌う時に何が一番大事かを言われたそうだ。
これはワールドメイトでも何度か聞いたけど、緊張すると声が出なくなって歌えなくなるから、この歌の極意を覚えておきなさいと言われたそうだ。
それが、「バカヤロー、お前ら〜、俺の歌を聞ケエェェ〜!」と思って歌いなさいと言われたらしい。もしも、途中で声が出なくなっても、ひっくり返ってもいいんだーと思って、後先考えずに歌いなさいと。
それで、深見先生もそうなんだと思って、本番では、バカ〜、Some enchanted evening〜、お前ら〜you may see a stranger〜、俺の歌をきけーYou may see a stranger across a crowded room、と思いながら歌われたそうだ。
それが、あの感動的な歌の背景にあったとは、初めて聞いた時は、かなり衝撃だったけどね。
でも、実際にそうやって歌うことで、最高にブラボーの歌になって、アメリカの耳の肥えた観衆も、マスコミも賛辞を送っていたそうだ。
そのカーネギーホールで歌った経験から、そのあとも、何が武道館じゃ、何が新国立劇場じゃ、というような思いで歌われているので、いつも最高に本番でいい歌、いい声、いいパフォーマンスができるとのことだった。
それが、リラックスして歌えると同時に、聴衆に呑まれずにベストが出せる状態なのかもしれないね。
著名人と共演するときや、会うときでも同じように応用されているようなので、相手がどんな大物であっても緊張したり、気後れすることもないし、普通に一番良い状態でいることができるようだ。
これは、直接聞くと笑い話のように聞こえるけど、でも、ものすごい秘訣なんだなと思う。実際にそれで、本番ではいつも堂々と成功されているからね。
オペラや今回の日本歌曲のように、生声で歌うものは、いっそう喉の調子とかが気になるように思う。
あのパバロッティも、コンサートでステージに立つ不安や恐怖を、どうしてこんな世界に飛び込んだのかと考えたり、死の行進が始まるとか言ってたそうで、いつも不安がつきまとっていたようだ。
軽々と良い声で歌ってるように見えても、3時間の間、背中に汗が流れる時を過ごさなくてはならないとか言ってたそうで、半端な緊張ではないんだろうなと思った。
だから、その道のプロたちは、本番でベストを出すための自分なりの工夫をいろいろ持っているんだろうと思う。