小学校の低学年の頃だったと思うけど、なぜか毎日のように寝ると天国のような世の中を夢想していた。
天国という言葉の意味もよくわかってなかったけど、とにかくハッピーな暮らしをみんながしている、そんな世界のことが寝る頃になると出てくるようになった。
ワールドメイトに入会してからは、同じようなことを思っていた人が、周りにもけっこういたことに気がついた。
それで、あの夢想していた世界って、ワールドメイトの神仕組みと同じようなものかもと思った。
神様の存在もわかってなかった頃だけど、それでも、未来はそんな理想的な世界になっていくことを、幼い頃キャッチしていたのかな。
そして小学校も高学年になってくると、もう、そんな夢想が出てくることは無くなっていた。現実世界のことに意識が向いてきたからだろうね。

ワールドメイトで聞いた神仕組みのお話は、壮大な世界観だけど、それだけに理解できる人と、そんなものはあるはず無いと否定する人がいても、それが普通だよね。
自分の場合は、幼い頃の体験があるから、やがて理想の世界になっていくことを素直に信じられたんだけどね。
でもそうじゃない人も多いと思うし。現実の世界にどっぷり浸ってしまうと信じられなくなるのも無理もないと思う。
そういう意味では、ワールドメイト会員を続けている人は、自覚が無くても、潜在意識でそんな世界をキャッチしていた人が多いのかもね。

何度か書いてきたことだけど、神仕組みもだけど、宗教の教えや、神様の存在にしても、科学的な検証で真偽を知ることはできない。
でも、その逆もまた言える。宗教の独特の世界観や神様の存在を否定する人は、自分の知っている常識や世界観から外れているから否定するだけであって、科学的な検証で否定できる人は一人もいないからね。
宗教や神を信じない人も、自分のちっぽけな常識の世界を信じているに過ぎないよね。
それでいて宗教や神様を信じる人を否定することは、自身の知性の無さを証明しているようなものだから。

知性や教養がある人は、たとえ自分の常識で信じられないことがあったとしても、もしかすると自分が知らないだけで、そんな世界があるのかもしれないと思う人が多いことがわかった。
ホントに賢い人は、自分が知らないことや、理解できないことに対しても、馬鹿にしたりせず、謙虚な姿勢なんだよね。
それがわかるようになってからは、宗教を否定し小馬鹿にする人を見ても、怒りを感じることがなくなった。
可哀想な人なんだなって、憐れむ心が湧いてくることはあるけどね。