ワールドメイトの深見東州先生は多才な方で、活動も多彩なんですねと、最近ワールドメイトに来た人に言われた。
言われて気づいたけど、多才というレベルよりも、万能という言葉の方が真実に近いんだけどなと思った。
まぁ、それはいいとしても、活動が多彩というけどコンサートやサミットなどのイベントは、ワールドメイトの活動ではないけどね。
ワールドメイトの活動ではないけど、深見東州先生の活動の一環であるところが、実は重要なんだけどね。
そういうと、相手は混乱することが多いけど、そこには深見東州先生の信仰感が現れている。
キリスト教でも言っていることで、近年は出口王仁三郎も言っているけど、神様には3つの局面、真と善と美があると言われている。
真は科学、善が宗教、美は芸術になるそうだ。
ワールドメイト会員になると、神様=宗教(ワールドメイトのような)だけではないことが、だんだんわかってくる。
しかしこんな教義経典に書いてあるようなことは、勉強したからといって正しく理解できるとは限らないけどね。
そもそも巷の宗教の教義って、詳しく知っていても、それほど実生活の役にたっているとは思えないけどね。
そんなことよりも神様に祈ったら、たちまち証が出たとか、たちまちでなくてもいいけど、時間がかかっても願いが叶ったとか。
そんな人の方が、よほど神様に正しく向かっている気がして。
まぁ、自分の願い事をかなえるために神様がいるわけではないから、本当はそれも正しくはないんだろうけどね。
信仰の奥はもっと深いと思うけど、でも、証は出た方がいいし、願いも叶う方がいいよね。
そればかりだといけないというだけで、大いに神様に働いてもらうことは、神様にとってもうれしいはずだから。
ワールドメイトでは、深い本質的なものと同時に、そういうおかげも大事にしている。だから面白いよね。
話を戻すと、本当は芸術の美を極めるか、科学や経営や学問の真を極めるか、宗教や教育や倫理、道徳、スポーツの善を極めかする中で、神様のことをかなり理解できるようになるんだろうと思う。
しかし、そこまでやれる人は、かなり少ないだろうけどね。
ただワールドメイトには、深見東州先生という、3つの要素を全て極める稀な人物が身近に存在しているから、信仰に対する理解が深まると思うけどね。
ワールドメイト会員は、自分が必ずしもできなくても、3つの要素全て極める深見東州先生のおかげで、かなり理解できるようになるのかなと思っている。
科学でも、スポーツでも、音楽でも、本当に極めた人になると、特定の宗教の神を信じていなくても、そこに神か、表現は違っても、超自然的な存在を覚えるようになるんじゃないかと思う。
口に出して神の存在に触れなかったとしても、感覚では神様の存在がわかっていると思う。それを神と呼ぶかどうかは、その人次第なんだろうけど。
でも、それが神なんだよね〜。φ( ̄ー ̄ )