いよいよワールドメイトの豆木のお取次ぎが行われる。
普段はほとんど気にもしてない一番深いところにいる先祖霊が許されるのが、豆木祈願なんだけどね。
あまりにすごいお取次ぎがワールドメイトでは続くから、先祖が供養されるというありがたみが分からなくなって、どうも感謝の気持ちが薄らいでいるような気もする。
本当はたくさん徳を積んできたとか、徳が足りない分は物施を多めに行うとか、相当なことをしないと先祖を供養して救うことなんて、本来なら許してもらえるはずがないと思うけどね。
それを、ほんとにわずかな物施でも、ある程度救っていただけるわけだから、考えたらありがたすぎる。
あまり欲張って期待しすぎてもいけない気がするし、かといって、やっぱりたくさん救ってもらえるとうれしいなという気持ちもあるし。
時々2000円しか申し込んでないのに、ものすごく期待だけは大きな証を求める人がいるけどね。それはいくらなんでも厚かましいと思うけど。
たくさんお玉串していても、ご祈願してもらえるだけでありがたいと、ただただ感謝の気持ちだけで申し込む人もいる。
どちらの人に鮮やかな証が出るのかは、はじめからわかっているよね。
たとえわずかなお玉串でも、謙虚に、これだけで本当に申し訳ないという気持ちでお詫びして申し込むと、すごく救われた気がしたことがある。
ちょっとした神様への向かう姿勢が、大きな差となって出てくるのかなと思ったけどね。
とりあえず今年も、ぎりぎりまでいろいろと悩みながら、当日を迎えることになりそうだけどね〜。
でも、よくお祈りすると、今年必要な分だけは必ず祈願できるようになっていた気もする。
ワールドメイトでは、すべてが御神業だから、なんでも祈りながら神様といっしょにやるのが基本だよね。
そうすれば、最終的にその人にとって一番良いようにして下さると思うから。憂いも迷いも持つ必要がないし、実際に結果もよくなっているからね〜。