神事がなかなか始まらないと、みんななにを考えてるのかなぁ〜!(θ_θ)
「私は別になんにも考えてない」という人は、う〜んつわものだねきみは。(;一_一)
でも自分で考える前に、しっかり神様に祈らないとね・・やっぱり。(^o^)v
「神事に来た人の幸せと、それから神事に向けて、私はとりあえずこれをしますから。だめなら教えてください」と!(すごい単純な祈り、大丈夫かな〜?)(*_*;
とにかく何事も祈りを先に立ててから実行に移さないとだめだよね。
なにか行動するなら、ツボから外れないようにしないともったいないからね。
深見先生も次から次にいろんなことをあざやかにさばいたり、煮たり焼いたり盛り付けしたりと、すばらしくなんでもお料理されますが(食べるお料理のことじゃないよ)、節目節目ではまずそのことを必ず祈ってから、何事をやるにしてもとりかかるみたいだよ。(目撃したわけではないけどね・・)
それでそうやるとどうなるか。そりゃあ・・全部なんでも自分の力だけでやるのと、神様や守護霊の応援をもらいながらやるんでは、全然違ってくるよね。つまりそれぐらい差がでるわけだよね。祈ってやると。その違いは大きいよ、ほんと。経験者は語るだからね。
ところでなんかのビデオで、深見先生のお話を見たんだけどね・・。
記憶違いでなければ、深見先生は高校生くらいまで、「あんまりというより、なんにもできない人でした」と、いわれてたような気がするね。
「たいしたこともできず、頭も中途半端に良くなかっただけに、逆に徹底して神様に祈って祈って、祈りきるしかなかった」というようなお話だったと思うけど。(間違ってたらごめんなさい)
賢い人は自分でなんとかやれるし、かえって神様に祈るなんて徹底してやらないし、でもそうだから結局はたいした人間になれない、ということだよね。
神様に祈るしかないような環境が、深見先生をあんなに神様とお近づきになれる人にまでさせたんだろうなぁ〜。
なにごとも徹底的にやると、陰極まりて陽になるんだね。
あるいは劣等感をばねにして出世する人も、世の中たくさんいるしね。
短所にみえることが、やりようでは長所になるということだろうね。
先生の場合は、負けず嫌いな人が「見返してやるんだ!あいつだけには負けんぞ」<(`^´)> なんて・・そんなものをエネルギーにしてやるような、そんなあさはかみつけではないだろうけどね。
もっと純粋な使命感からの発願や真心じゃないのかなぁ〜
とうてい凡人には、わかりかねる境地をお持ちだからね。きっと。
せめて秀才くらいにはならないと、先生のことは理解できないかも・・・だね。
今年こそ、凡人脱出だー!! (いきなり叫んでます)(≧▽≦)
明日になったら忘れてるだろうけど・・・。あぁ〜あ!(・▽・;)
By あんこ