吉田調書が出て以来、再び福島第一原発事故当時の国の危機管理が、いかに危うかったかを思い知らされる。
危機管理の対応もだけど、ホントにあの事故は一歩間違えると、東日本に住めなくなってたかもしれない。
それぐらいの大惨事になる可能性もあったと、改めて感じた。現地の吉田所長はそれくらい緊迫していて、特に14日から15日が危なかったことも、改めてよくわかった。
ただ、事故時に内閣官房審議官だった下村健一氏が記録したノートによると、管元首相が東電本店に乗り込んだ15日朝、東電本店と福島第一、福島第二、など6カ所を同時につなぐテレビ会議システムが動いていて、東電本店には現場からリアルタイムで情報が入っていたそうだ。
下村氏は、「それまで、海外とやりとりしているような遠い感じだった。本店にも情報がないなら仕方ないと思っていたが、情報は届いてたんじゃないか、なんで本店からこんなに近い官邸まで情報が届かないんだというのが衝撃でした」と思ったそうだ。
そうなると、政府に、どれだけ適切に情報が流れていたのか、かなり怪しい。
ただ流れていたとしても、適切な対応ができたかどうかは別だろうけどね。
結果的にそうならなかったから良かったけどね。
チェルノブイリというか、映画のチャイナシンドロームのようになると、吉田調書では語られていたから。
いかに深刻だったのかがその一言でもわかるけど、まさかそこまで危ないとは、当時の報道からは伝わってこなかった。
政府や東電の混乱ぶりは伝わって来たけど、結局、現場での命がけの作業と、幾つかの偶然が重なって、最悪の事態だけは回避された。
ところでワールドメイトでは、事故直後から重大なる危機を察知し、ワールドメイト会員で早くから必死に御祈願を行っていたけどね。
政府や東電関係者くらいしか知り得なかった最悪の事態を、いちはやく察知されたんだろうね。
人智を超えているよね。