まだまだそう簡単には氷見神業は始まらないのかな〜。
( ̄∇ ̄;)
いやいや神事はすでに進んでいて、最後の締めくくりがいつになるかというだけなんだけど。
締めくくりがまだできないということは、よほどの大きななにかが開こうとしている。
あるいは大きな変化がおきようとしている。
そうとしか思えないので、あまり考えても仕方がないよね。
きっと何かが良くなると思ってきらきらした感性で祈らないと、だんだん想念がゆがんでしまうかもしれない。
「なんで長引くんだろう」「鹿嶋はどうなるの、去年も長引いたけどまたそうなるの」などと思うと、疑心暗鬼になったりして、大事な神事の意味がわからなくなる。
昔から、いちばん狙われやすいのがまず疑心暗鬼で、これにやられる人が多いと聞いた。
ああじゃないかこうじゃないかと思う心は、だれでもあるんだけどね。
世の中のことだって、疑い出せばいろんな怪しいことはいっぱいあるし。
疑う姿勢は生きていく上で大事だと思うけど、疑心暗鬼はちょっと違って、下のような意味があるようだ。
「疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえ。疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえ。疑いの心をもっていると、いもしない暗闇くらやみの亡霊が目に浮かんでくる意から。▽「疑心」は疑う心。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。「疑心暗鬼を生ず」の略。「暗」は「闇」とも書く。」(三省堂)
疑いが深くて対応の仕方を誤ると、さまざまな妄念妄想になっていくということだよね。
単なる疑いならいいんだけど、疑心暗鬼までいくと、あらぬ妄想をひきおこし、恐怖や妄想へとつながる。
その結果、自分の心を蝕んでいくんだろう。
ワールドメイト的にいうなら、そこに邪気が入り込むから御魂が傷つくということになるのだろう。
ほんのわずかな違い、心の持ちようなんだろうけど。
昔の人は、そういう霊的な背景など知らなくても、疑心暗鬼という、その危険性を知っていたんだろうね。
それから外に向かうというより、自分の中に向かうときもある。
「どうせ私なんかダメなのよ」「誰からも必要とされてないし…」とかね。
自分に対する疑心暗鬼といういい方はしないかもしれないけど。
これもある意味での疑心暗鬼なのかも。
こういうように疑心がいきすぎると、心の闇に鬼が来る。
このあたりが、氷見神業のテーマである、闇組織粉砕にも繋がるのかもしれない。
自分の心の中の闇組織ならぬ闇鬼から退治しないと、神事は始まらないかも。
byあんこ