昨日は、ワールドメイトでよく聞く言霊について、少し書いてみた。
本当はもっと奥深い意味があり、それをここで書くことはできないけど、代わりに「古神道入門」という本の中から、言霊について書かれた部分を少し引用してみる。
これはワールドメイトの深見東州先生が言われた言葉。
僕は自分なりに言霊とは何かという定義をすると、やっぱり吾郷先生がおっしゃったように、神の御心を胎して言葉を発する時、言葉が言霊になると悟りました。それは学問や理屈ではなく、日常生活のすべてにおける誠の道を実践するしか、真を得て運用することはできないと大悟した次第です。
ところで、神の御心というものを絶えずわが心の置き所とし、それを自分の人生観として持って確立し、日々の中で生き貫けば、必ず神なるものと接霊することができます。神の心とは何かと言うと、大いなる愛の波動であり、その心をこの世で成就させるものは、この世でそれを貫き全うする精神力と行動力という誠のことです。そこにおのずから智があふれ、世に現われ出でて礼となり、義となり、信となります。愛とか真心という波動で、そこに神なるものが発動し、至誠を実行して輝かせているうちに、必ず高級霊と深く接霊し、その時に、言葉に本物の霊力が宿るわけです。至誠を実行するプロセスの中で神なるものが輝き、接霊し、そこに本物の言霊が宿る。
ここに書かれている内容は、ワールドメイトで言われていることと同じだけど、ワールドメイトでお話しされるときは誰にでもわかるように、いろいろな角度から、いろいろな喩えも交えて、面白くお話ししてくださる。
でも、短くまとめると、このように簡潔になるんだなと感心しながら読み直してしまった。
さらにこの続きがある。
もう一つは、じゃあどんな人間でも神と接霊し、神の御心を出せばいいかというとそうでもない。やっぱりその人の魂の中から出てくる波動に種類やレベルがあるわけで、それが修行し、練磨をし、霊格を磨いてきた内面にあった分だけの、やはり言霊の色や品格があるわけです。だから僕は人間の足跡として、全体からにじみ出てくる魂の響き、愛と誠の実践の歴史、これが神なる意思の人間界における顕現であり、それが人に表れたとき、そのランクに合わせて言葉が言霊になると思います。
ワールドメイトで深見東州先生の話を聞いてないと、かなり難しく感じる内容だと思うけどね。
深見東州先生が神人合一されて、今のように万能の人になってきたプロセスのポイントが、簡潔に書かれていると思う。
もちろんこれを読んで理解しただけで、深見東州先生のようになれるわけではないけどね。
言霊と神様の関係という言葉にしずらい、複雑で難しい内容を簡単にまとめて言えるところが、言霊も神様のことも、いかに深く理解されていて、実践し体得しているのかを物語っているように思う。