ワールドメイトで深見東州先生が、人を導くことより人を育てることの難しさをお話されていたのを何度か聞いたことがある。
そういう深見東州先生は、今までに相当な時間をかけて、スタッフの人達だけでも何百人という人を教育し、育てて来られている。
でも、ほとんどは報われなかったり、時間の損失だったり、労力の無駄、時間の無駄、腹立たしい結果になることが多いそうだ。97%まではそんな感じだなのだそうだ。
でもそうやって100人をていねいに育てていくと、97%はそういう結果になっても、その中の3人くらいが素晴らしい人材に育ったりするそうだ。
まぁ、それでも圧倒的に多くの貴重な深見先生の時間が奪われてしまう事になるけどね。
考えたらその時間を、深見先生が、ご自分の芸術の創作やお仕事に費やし、そしてもちろんワールドメイトのお取次ぎにも使えばどれだけ有意義な結果が得られるだろうね。
今でもあれだけ素晴らしいのに、圧倒的な才能が世間から認められるだろうと思うけど。
それなのに、なぜそうやってまで膨大な時間をかけて人を育てられるかというと、神様がそれを喜んであり、望んであるからだそうだ。
神様は、ヒマラヤ連峰を一センチ動かすよりも、人が信仰心を持つように育てることの方が難しいと言われている。
そんなに難しいのが、神の道におけるお育てなんだね。
それはとても面倒くさいことだし、もっと自分のために時間を使う方が有意義な結果が得られるから、普通ならばそうしたいと思うけどね。
ましてや一生懸命育てても育てても、大半は報われないのだから、普通だったら腹立たしくなって、やってることが馬鹿らしく思えると思うけどね。
でもそう思ったら、神様のためにしているのではなく、人のためにしているのだから、それは本当の信仰心ではないし、本物の宗教人とはいえないようだ。
だから、どんなに限りなく時間が無駄になっても、お金をかけても労力をかけても、そうやって御神業に有為な人材を育てることを実践されているんだろうね。
でも、そうやって自分のためでもなく、神様のためにそこまでするからこそ、100人育てれば3人はご褒美で優秀な人が出てきて助けてくれるようになるそうだ。
そして、膨大なる時間をかけてたくさんの人を育てるというのは、この世的にはたとえ97%は無駄に終わってるように見えても、それは神様の道において一番尊いし、神様もそう思ってあるそうだ。
それが徳分になっていき、神様からのひらめきとなったり、色々な功徳となって現れるそうだ。
深見先生の場合は、最短の時間で最大の成果が上がるようにして下さるそうだ。
だから深見先生は、あのようにいつも短時間で物事を習得されたり、あらゆることが短時間でプロ級になられたり、そんなことが次々できるんだね。
徳分がある分しか、天来のひらめきも来ないそうだから。
それができるようになるのも、そうやって神様のために人を育てて徳を積んだからこそ、そうなっているんだね。
そうやって、最終的には報いて下さっているという事を話されていた。
だから、人を神様の道において育てることが、どれだけ素晴らしい事かが分かった気がした。
体施、物施、法施というけど、法施が一番徳分が高いと言われていたのは、こういうことだったんだね。