深見東州先生が挨拶に出られて、いつものように短いスピーチを1時間近くされたんだけどねw。
ある画家の話として、画家は描きたいという気持ちがなくなった時が、画家としては終わりなんだという話をされた。
芸術家は創作したいという気持ちがなくなったら終わりだし、政治家だったら政治活動する意欲がなくなったら政治家としては終わりだし、学者なら研究したいという気持ちがなくなったら 学者としては終わりなんですよと言われていた。
ビジネスマンでも、経営者でも、音楽家でも、もう自分はダメだなと思ったら終わりなんですよと。
しかしやりたいという気持ちがある間は現役だし、どんな困難があったとしても、たとえメディアに叩かれても、牢屋に入っても、落選したとしても、どうあったとしても気持ちが続いていくことが、人間として最高の価値じゃないかと。
命果てるまでやっていくというのが、人間の一番尊い偉大なところなんじゃないかと思いますと、そんな話をされていた。
毀誉褒貶は時の運、勝負も時の運、世の中からどのように言われるかもわからないけど、それらをバネにしてどこまでも超えていくのを、日本の神道で魂の力というそうだ。
その生成化育進歩向上することに価値を見出すという話だった。
これと似たような話は、ワールドメイトでもよくされてきたんだけどね。
何かこの時に聞いた話は、すごく胸に残った。
好きで、書きたいと思ってはじめたこのブログも、紆余曲折があっても15年近く書いてはきたけど、そろそろいいかな、なんて思っていたからかも。
書きたいという気持ちがなくなったら終わりなんだなって、たったそれだけの言葉だけど、心の奥にズシッと刺さるものがあった。
よくよく考えてみると、深見東州先生自身が、あらゆる困難や嫌がらせにあってきたのに、それらを乗り越えて、ますます継続してここまでこられた。
そんな超越した体験を持ってあるからだろうけど、そこから出た言葉はすごく心に響くよね。
今はふつうにされていると思うけど、昔は大手メディアや国からも、散々酷い扱いを受けたり、酷いことも書かれてきたからね。
でも、それをバネにして、改善すべきところは改善しつつ、進化して超えてきた足跡を、ワールドメイト会員はつぶさに見て知っているからね。
だから今は、国内外の大物の文化人や政治家、芸術家からも高く評価されるようになってきたんだろうけどね。
それから、それができるのは、深見東州先生が並々ならぬ覚悟と度胸を持ってあるからだと思っている。
世の中、自分もそうだけど、あまり大したことにチャレンジもせず、無難に、平凡に生きる人たちが大半だよね。別にそれが悪いわけではないけど。
深見東州先生は、新興宗教団体という、世間から批判されやすい、ネガティブなことを言われやすい道をあえて選び、ここまで進まれてきた。
まぁ、本当の宗教は、人を幸せにし、社会を良くするものなんだけどね。世間ではそう思ってない人も多いから。
でも、どんなに良いことを実践しても、教祖が、何か大きなことをすればするほど、必ず粗探しをしたり、ネガティブな批判する人が出てくるからね。
組織を作ってしまうと、たとえ全員を幸せにする理想を持って運営したとしても、いろんな人が集まるから、実際にはついていけない人も出るし、幸せにならなかった人も出てくるだろうからね。
ワールドメイトを退会した人たちの中には、周りと人間関係がうまくいかず、嫌な思いをした人もいただろうし。
ワールドメイトに限らず、どんな立派な組織でも、素晴らしい業績を上げた人物でも、いわゆるアンチと言われる人たちが必ず出てくるわけだよね。
それでも、世間からいろんなことを言われたとしても、批判されたとしても、つねに改善しながら進歩向上し、乗り越えて最後まで志を貫ぬいた経営者や政治家、芸術家、宗教家になると、やはり人として最も価値ある生き様をしているんだろうなって思う。
深見東州先生の場合は政治家ではないけど、高いレベルでの宗教家であり、経営者であり、芸術家であるわけで、それら全てにおいて好き嫌いを超越し、やる気を失うこともなく、どこまでもチャレンジし続けてこられてきた。
おそらくこの先も、命尽きるまでそうされると思うし。
そんな深見東州先生のもとで学んでいるんだから、自分にできる小さなことくらい、面倒くさがらず、やる気を出せよって、ちょっぴり反省したわけ。