ワールドメイトでの深見東州先生のお話には、只今、只今に生きるというお話が何度も出てくる。
これには深い意味があるけども、日本人のなかには、これと同じような中今の思想という神道の思想が息づいているという。
中今の思想というのは、簡単に言うと今この時が大事という意味だと思うけど、先のまだ来てもない未来のことを心配して今が手につかないとか、あるいは過去のことにとらわれて、今のことに全力が発揮できないとか、そういうことにならず、今、この時を只今只今に生きていこうという意味だと理解している。
日本人の精神の奥に、そういう思想が根ずいていると痛切に思ったのは、韓国や中国と、日本の考え方の大きな違いに気がついてからだった。
たとえば中国や韓国の、先の戦争に関することの謝罪の求めかたの執拗さに、とても違和感を感じたからだった。
慰安婦や南京のことなどにしても、あまりの執拗さに驚いてしまう。
しかも事実と違うことも多々あるわけで、それでも求めてくるのは政治的な深謀からだろうけど、国民の多くも、いつまでもそう思ってるのが不思議だった。
徹底した反日教育のせいもあるんだろうけどね。
日本は先の戦争については法的にも道義的にもけじめをつけてきたと思うし、原爆のことに関しては、人道的な問題をいう人も多いけど、それでもアメリカを今でも恨んでるという日本人は、あまり聞かないよね。
今年の8月に、【オピニオン】原爆投下を神に感謝という記事がWSJに掲載されていて、不謹慎な記事だなと思って読んでみると、アメリカにはアメリカの言い分があるようだ。
だからといって原爆投下に感謝する気にはなれないけども、アメリカ人を恨もうという気にもならなかった。戦争は憎むけどね。
その記事を読んだ「被爆2世」である松井広島市長や被爆者たちの気持ちは、「米国に怒りや憎しみをぶつけることなく、広島・長崎の惨禍を3度繰り返さないように、世界中の人々、特に為政者に、被爆者の体験や平和への思いをしっかりと受け止め、核兵器廃絶に向けて努力してほしい」という未来志向に沿った、現実的な今を大事にする考えだった。
お互いに自分の言い分だけをいえば喧嘩になるところを、相手の立場に理解を示し、普遍的な人の命の尊さという点に向かうことで相手を憎まないというのは、賢明な考えのように思う。
もちろんそこに至るまでには、原爆投下さえなければという辛い現実の中で、怒りや憎しみを乗り越える長い時間が必要だったと思う。
そして日本人の心の中にやどる、終わったことにいつまでも心がとらわれ、今を不幸にするのではなく、今を一生懸命に生きていく、という精神があるから超えられている気がした。
中国人や韓国人をはじめ、欧米人にしても、このような只今に生きる精神を持ってる民族は、あまりいないように思う。
この生き方は、只今にやるべきことに没頭していくことにつながる。
それが神様の目から見て、なにより最高に価値ある生き方になると、ワールドメイトで聞いたことがあるけどね。
日本人の精神の中には、その惟神の精神が生きずいているのだろうと思う。