あるところで10年以上前の婦人雑誌に、ドミンゴのインタビューが掲載されていたのを偶然見つけた。
プラシド・ドミンゴ本人と、奥さんのマルタドミンゴのふたりの対談みたいなものだった。それが、とても面白い内容だったので少し紹介する。
ワールドメイトでは、男性が女性を称えることに関するお話を、時々聞くことがある。
このドミンゴ夫婦の対談を読むと、ドミンゴの奥さんを称える表現のスゴいことに驚いてしまう。
日本人だったら恥ずかしくてとても言わないだろうけどね。
ラテン系の人の、女性の口説き文句が素晴らしいらしいとは聞いていたけど、こんな風に言われると、ころっといってしまう気がする。
こういう讃えかたの表現の上手さは、日本人はもっと学んだほうがいいよね。
まぁ、その話は置いといて、プラシド・ドミンゴがここまで長い間活躍できたのは、実は奥さんの内助の功があってのことだという気がした。
ふたりは、お互いに歌手の道を歩んでいる中で知り合い若くして結婚したそうだ。
その後ドミンゴのキャリアが猛スピードで上昇し始めると、奥さんは母親、自身のキャリア、そして妻として夫を支えることは無理だと判断し、自身の歌手としてのキャリアを諦める。
そして子育てと、ドミンゴのキャリアのサボートに徹し、仕事を分担するようになる。
オベラをやるということは、ただ歌えばいいわけでなく、文献を調べたり役の人物のリサーチから歴史まで様々な勉強が必要で、それを助けていたのが奥さんだったそうだ。
そうやって影で支えていくうちに、奥さんのマルタドミンゴは、もともと天才ソプラノと言われるほどの音楽の才能を持っていた人みたいで、演出家としての道が開きはじめる。
そしていよいよ忙しくなって、お互いに離れて仕事することも多くなったそうだ。
しかしドミンゴは、彼女の演出する舞台があれば、出演のわずかな合間をみつけて遠く離れた国から飛行機で駆けつけ奥さんを驚かせたそうだ。
それがどんなにマルタ夫人の支えになったかは、いうまでもないよね。
今度は逆にマルタ夫人が、ドミンゴが公演でなかなか戻れない時には、子供達を連れて滞在先まで会いに行ったりと、家族の絆をとても大切にしてきたことがたくさん書かれていた。
ドミンゴは三大テノールとして、世界中を飛び回って公演をし、世界中の女性からも憧れの的だったそうだ。
でもドミンゴは、本当に家族思いの人のようで、おたがいに深く信頼し敬愛の気持ちを持って接していたから、何も大きな問題にならなかったのだろうね。
ドミンゴは若い頃からとても考えられないようなスケジュールを入れる人だったらしい。
それほど喉を酷使していたため、潰れるんじゃないかと多くの人が心配したにもかかわらず、つぶれるどころか、60歳を超えても声は若々しく、仕事もますます盛んになって今に至っているそうだ。
70代半ばで、いまだ現役のテノール歌手で歌う超人的な体力と若さを持つスーバーマンのような人だよね。
それはだれも否定しないようだ。
音楽にかけるものすごい情熱と、どこまでも進歩向上する努力を欠かさない謙虚な姿勢もだけど、家族との固い絆が原動力になっているのかもしれないなと、その雑誌を読んでそんな感想をもった。
ワールドメイトの深見東州先生は、伴侶こそ持たれないけど、お二人ともどこか重なり合う部分があるなと思った。