今日は戎信仰の総本山、西宮神社を紹介。
ここは、全国的には十日戎で有名だけど、ワールドメイト会員としては、深見東州先生の産土神社としての認識が強いかも。
そういう御実家があった地元の神社ということもあって、あの、阪神淡路大震災の後、深見東州先生と、先生の父親とで壊れた神社の鳥居を寄進されていた。たしか墨黒の鳥居がそうだよね。
こちらの神社の由来は、遠い昔、鳴尾の漁師が、神戸の和田岬で、御神像を引き上げたことに起源を発するそうだ。
その御神像からの御神託により、蛭子の神として、西ノ宮の地で祀られることになったそうだ。
そして、戎という名前は平安後期には文献に出てくるそうで、なぜ戎といわれるようになったのかは、いろいろ説があるようだ。外国から来た神という意味もあるらしい。
それで、現在では商売繁盛に導く福の神として、とても有名になっているよね。
ただ、平安時代は軍神として、またバクチ(勝負)の神とされていたらしい。
最近のワールドメイトでのお話で、かなり謎が解けてきたけど、とにかく素晴らしい神様であることは間違いない。
深見先生の著作には、神社で言われている神徳以外にも、根気と辛抱の神様でもあると書かれていた。
商売の極意は堪忍と言われているし、また、飽きもせず、しんぼう強く行うから商い(あきない)というそうだから、納得だよね。
日常生活においても、そういう場面はたくさんあるから、そんな堪忍の功徳が授かるならば、これ以上に素晴らしいことはないと思う。
何をやるにしても辛抱できないと、途中で投げ出してしまって、何もものにならないからね。
信仰心も続けていかないと本物にはならないし。
というより信仰心そのものが、貫き通す精神のことを言うと、ワールドメイトでは聞いている。
深見東州先生も、どんな時でもヤケになることなく、何事も堪忍してやり通してこられたから、今日のように様々な分野で地位を築き上げることができたんだろうと思う。
どんなに大変でも、ひるまずに、笑顔で明るいエネルギーを漲らせ、忍耐と精進で乗り越えてこられたことを、ワールドメイト会員は見てきたし。
そういう意味では、深見先生の産土神にふさわしい神徳だなぁと思った。
それくらいの根性と辛抱がないと、本当の神様の御神徳もこないのかなぁなんて思ったりもする。
深見東州先生のようなスゴい人でさえ、神の道を15歳で志して以来、50年間ひたすら極めるべく精進され続けているわけだから。
それでここ数年、日本や世界でも大きく飛躍され、社会の様々な分野の中心になっていかれているけど、辛抱の時期も長かったようにも思う。
もちろん、使命のスケールの大きさが全く違うからね。それだけ長いスパンで見て、時間をかけて大きく開くようにされてきたのだろうけど。
それを思うと、10年や20年ワールドメイト会員をやってると言っても、全然、まだまだなんだろうなぁと思ってしまった。
- 毎年1月10日、西宮神社で行われる、「開門神事福男選び」
恒例の「開門神事福男選び」は、今や、開門前に5千人くらいの人々が並び、ものすごいことになっているらしい。
西宮神社のホームページによると、1998年(平成10年)の神事から、開門を待つ人が急増し始めたそうだ。
それまでは数百人だったのが、千人を超え始め、ピークでは六千人並んだ年もあった。深見先生の鳥居の寄進が1997年3月だから、なんだか不思議な気がする。
ちなみにこの開門神事のために、毎年トレーニングを行い、福男を目指す人がたくさんいるそうだ。
ただ、危険防止のために、現在はくじ引きで門の前に並べる人が決まるらしい。くじ運も大事になるよね。
また、コースが複雑なため、ただ早く走るだけでもダメらしい。
動画を見てると、滑って転んだりする人も結構いたので、かなり激しい勇壮な神事だと言えるよね。