ウィキペディアに一霊四魂の項目があったなんて最近知った。
出口王仁三郎が詳しく述べているのは聞いたことがあったけど、日本の思想の一つということで書かれていた。なかなかウィキもやるね。
一霊四魂については、ワールドメイトでもよく出てくるし、深見東州先生の著作にも書かれていた。
ウィキペディアには、出口王仁三郎の説を中心にして書いてあるようだ。
ワールドメイトで聞いたのは、わかりやくすいうと静かにしている時は一霊なんだけど、活動する時は四魂となって活動するとのことだ。
例えば、勇気を持って何かをしようとする時は荒魂が、智慧を使っている時は奇魂、チームワークで仲良くやろうとする時は和魂、愛情を発揮している時は幸魂が働くようだ。
そして、多くの人の場合は、このうち2つくらいは発達しているけど、後の2つは足りなかったりするそうだ。残念ながら、四魂まったき人というのは少ないのだろう。
だから、愛情もあって、皆とチームワーク良く物事をやることができるけども、あまり智慧は無く、勇気も今ひとつ足りないというふうになったりするのだろう。
あるいは、智慧もあり勇気も忍耐力もあるけど、皆と仲良くやっていくのは苦手だったりとか、その人の色々な傾向となって現れてくるのだろう。
自分でも、ある程度その傾向がわかると思うので、意識して足りないところを磨くようにすると、良い御魂になっていくんだろうけどね。それがなかなか難しいけど。
ところで古事記や日本書記にも、神様の荒魂、幸霊とかが登場する。神様の場合は、元となる神様から、荒魂、幸霊、奇魂、和魂が分かれても、かつ元の神様もそのまま存在しているそうだ。
例えて言うと、ろうそくの炎のようなものだと、ワールドメイトでは聞いた。
一本のろうそくの炎から、それぞれ荒魂、幸霊、奇魂、和魂という名前のろうそくに炎を灯しても、元のろうそくの炎は、そのまま変わらないのと似ているようだ。
それから、これもワールドメイトでのお話によく出てくるけど、大国主命のように、7つくらい名前がある神様がいる。
大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)、大物主神・・・など、一つの神様が、多くの異名をもつというケースもけっこうある。これは名前が変わると、その名前の働きをするそうようになるそうだ。
また、密教の曼荼羅には、胎蔵界と金剛界があって、そこにはたくさんの仏様がいらっしゃる。だけどその仏様は、中心となる大日如来のすべて化身と言われている。
これはインドのブラフマン教の、すべての神々はブラフマンから生まれたとする教えに影響を受けているそうだ。
そのように、神仏は色々な違う名前の神仏に化身し、しかも、本体はそのまま存在している。これは、なかなか理屈では理解できないことかもしれないけどね。
だから、なんとなく、そんなもんだろうと思うしかないと思う。
神仏の世界ではそれが真実なのだから、そこを理解することで、その神仏の功徳や働きが多く出やすくなるとワールドメイトでは言われている。
ワールドメイトでは、そうやることで実際に証を体験するから、本当にそうなんだなというのが、感覚的にわかってきた人が多いと思う。
そういう神仏の世界の基本的なことを知ることが、神仏との交流にとっても、神様を動かす上でも、大事なことなんだなと思った。あまり具体的には書けないので、あとはワールドメイトで学ぶしかないけどね。
神仏の世界は、学んだことを体験しないと、何が本当なのかがわからないと思うから。
科学は、この自然界で起きる現象を解明し、説明していくものだけど、実験で存在を確認する方法がないものは、解明しようがないよね。
でも解明されてないからといって信じないよりは、信じる方が良いと思う。
そのことは、長い歴史の中で、たくさんの優れた偉人や宗教家たちが残してきたものだから。
科学を尊重するは当然のこととして、その上で、そういう宗教の残してきたものを、学術的な研究や、文化遺産の一つとして終わらせるだけではもったいないと、ワールドメイトに入会して思うようになってきた。