ワールドメイトでは、神祭りや講演会をはじめとする、さまざまな活動が行われてきた。
それらのことを御神業というふうに言うけどね。
神の業(わざ)ということで、何をするにしても、やはり神様とともにやるのでなければ御神業にならないから。
もっと言うと、神様には御心というか、考えや思いがあるけど、それを実行するのは人間であり、深見東州先生は神様のお取次者として、ワールドメイトのあらゆる御神業のお取次をされてきた。
まぁ、世界にはたくさんの宗教があるけどね。
当然、多くの宗祖や教祖がいるけど、本来、宗教家は神様のお取次をする人たちなんだろうけどね。
そうじゃないと、おかしなことになってしまうだろうから。
それでワールドメイトの御神業を、ふりかえってみると、いろいろと変化してきた。
ワールドメイトが目指すもの、本質そのものは変わらないけど、表面的なやり方は進化してきたし。
深見東州先生の年齢も考慮しながら、その時代や、ワールドメイト会員の状況にも適合するように変わってきたように思う。
十年一日のごとく、変わらないというのが良いわけではないからね。
生ける神様がいるところなんだから、そのように柔軟に変化し、進化するのがホントだろうし。
それがワールドメイトの良さの一つだと思うし、大きな特徴でもあると思うから。
1990年代前半から30年くらい、ずっとワールドメイトで活動してきて、一度も退屈したり飽きるということを感じたことがなかった。
他にすることがなかったわけではないからね。どちらかというと多趣味で、飽きっぽい方なんだけどね。
宗教団体でこれほど楽しく、良い意味で刺激をもらえるところは、なかなか無いのではと思っている。
と言うことを言いたかったのかな。
急になぜか、ワールドメイトの御神業の歴史をふりかえって、そう思ったんだけどね。
ちなみに最近ワールドメイトに入った人は、わからないかもしれないけど、1990年代はどちらかと言うと、深見東州先生による各地域での、楽しいセミナーが中心になっていたと思う。
もちろんワールドメイトの神事も、全国各地の神域でたくさん行われてきたんだけどね。
ただ2000年代になってからは、だんだん神事が長期化するようになってきた。その分、セミナーは減ってきたけど。
ワールドメイトの代表的な神事といえば、年末年始の伊勢、夏至の頃の鹿島、そして10月の箱根の神事が、毎年行われてきた。
現在はされてないけど、その大きな神事が長期間にわたるようになってきて、その分お取次や貴重なお話もたくさん増えたと思う。
なによりも深見東州先生が、一番大変だったわけだよね。
セミナーは、会員が気軽に参加できる面があり、悩み相談のアドバイスなどもあったり、より身近に感じる部分もあったけど。
けど神事になると、やはりちょっと違う面があり、衛星放送参加はともかく、現地参加のハードルは少しばかり上がると思う。
楽しいなかにも厳しさもあり、その分、より深いところで神様を体験できたり、使命感とか、信仰心も磨かれてきたと思う。
今思うと、ワールドメイト会員の研鑽度合いに応じて、そのように変わってきたのかなと感じている。
そして2020年代になると、オンラインでの神業が増え、神学びや御神業の中心のようになってきた。
これまでの集大成のような大事な話や、忘れかけていた基礎的なお話も聞けるし、わかりやすく板書もされるので、とてもありがたいけどね。
何より、家にいても聞けると言うのがスゴイ。
それから、ワールドメイトの活動では無いけど、深見東州先生が別団体や会社でされているイベントなども、2010年代になってから、特にこの10年くらいで増えてきたけど。
そちらへの参加は、もちろん個人の自由なんだけどね。
ただ参加した人はわかると思うけど、ワールドメイトの宗教活動とはまったく違った面白さがあり、楽しめるものが多い。
そして現実的にためになることがたくさんあるし、人生の幅が確実に広がった気がするけどね。
そういう機会も含めて、ワールドメイト会員は、ホントに恵まれているなと、つくづく思ってしまった。