ロシアのプーチン大統領は、少年時代不良だったそうだ。だけど柔道に出会って救われたらしい。柔道で規律や礼節を学んで、不良仲間から抜け出すことができたそうだ。
スポーツの力で救われていたんだね、プーチンも。ただ、柔道は単なるスポーツではなく哲学だと言っていたけど。
KGB出身だし、見た目からしてとっても怖いイメージしかないんだけど、本当はおしゃべりで冗談好きで、KGBのスパイには向かないと言われて、今のような怖い感じになったとか。だとしたらスゴい役者だよね。
しかし政治家に転向した後、国内で辣腕ぶりを発揮し、エリツィンに気に入られ後継者として大統領に指名され、その後も国内でも人気があり、安定政権を築いている。
もちろん、どん底だったロシア経済を立て直したし、治安悪化していた国内を、まとめ上げて来ただけの強力なリーダーシップがあったからだろうけどね。
しかしその陰では、プーチン政権に批判的な人々が次々不審な死を遂げるなど、独裁者的なイメージは拭えないし、手段を選ばない強引なやり方が目につくように思う。それもあってか、国内外で、敵対する勢力から何度も暗殺未遂にもあってきた。
まぁ、ロシアというお国柄を考えると、そのぐらいしないと、あの大きな国をまとめて率いることができないのかもしれない。ただ現代の日本では受け入れ難い部分も多いのが事実だよね。
しかし、そんなロシアの、強烈なカリスマ政治家と渡りあわないといけないわけだから、日本の政治家も、よほど腰が据わったカリスマ政治家でないと交渉で負けてしまう気がした。
今回の交渉がどうなのかは、今の時点ではなんとも言えない気がするけど、マスコミの論調としては、成果が少なかったという、否定的な感じのものが多いようだ。
北方領土問題に進展があるんじゃないかという淡い期待があったからね。だけど、下手に2島だけ返還の道筋がついて、それで終わりになってしまうよりも、じっくりと4島の返還を目指してほしいなと思う。
ただ改めて、北方領土の帰属に関する日本の認識と、ロシアの思う認識の仕方には、政治的にだけでなく、歴史的な隔たりがあるんだなと、首脳会談後の記者会見を見て思った。
以前、深見東州先生が、政治的には冷え切っていても、文化や経済などの交流で温めていけば、やがて政治関係も改善されますと言われていたそうだ。
そういう意味で行くと、今回の首脳会談での経済協力の話は、時間はかかるかもしれないけど、政治的な解決に向けての端緒になる可能性もあるかもしれない。
そして、日本ロシア協会というNPO法人は、日ロ関係の友好改善に向け、そんな目的で活動しているらしい。
深見東州先生は、そこの会長代行・副会長になってほしいと、故鳩山邦夫さんからお願いされ、引き受けられている。
その時の挨拶文を、参考になるかもしれないので、ここに掲載してみる。
http://japan-russia.or.jp/wp-content/uploads/2016/01/9c71d8852a379c6629ba35d962998ce5.pdf
日本ロシア協会の設立50周年を迎えるにあたり、皆様に感謝申し上げます。私は、日頃より親しい鳩山邦夫会長より、「私が大切にしている日ロ協会を支えて欲しい。半田先生のお力が必要です。会長代理・副会長を引き受けて下さい。」と、突然のお願いがありました。「鳩山先生のお願いであれば」と、お引き受けした次第です。これが、日ロ協会との出会いです。
その後、日ロ協会理事会の推挙もあり、NPO法人東京日本・ロシア協会を設立しました。私が会長を務めることになり、名誉会長に鳩山邦夫氏、最高顧問に高村正彦日ロ友好議員連盟会長に就任をお願いしました。
ところでロシアと言えば、まず思い出すのはマイヤ・プレセツカヤです。ボリショイバレエ団の、超カリスマバレリーナです。「20世紀最高のバレリーナ」とか、「バレエ界の女神」とも呼ばれました。私は彼女と2回共演し、彼女を通してロシアという国や、文化を知ったのです。最初は、私が42才でマイヤさんが68才。次が、私が48才で、マイヤさんが74才の時でした。
第一回目は、創作オペラバレエ「天の安河のうけひ」で、マイヤさんが天照大御神、私がタジカラオを演じました。第2回目は、創作能・バレエ「羽衣」です。能の前シテ、後ジテの概念で、前シテがマイヤさん、後ジテが本物の能楽師が演じました。そして、最後に、前シテのマイヤさんがもう一度出て来て、コール・ド・バレエと郡舞を踊り、白竜とのロマンスを踊り、大円団で月へ帰るのです。私は恋人役の、「ワキ」の漁師白竜を演じました。つまり、能の人気演目「羽衣」を、能とバレエのコラボで上演したのです。音楽は、NHKのドラマでよく作曲する、岩代太郎さんが作りました。マイヤさんも、作品を大変気に入ってくれました。
ロシア人は、スピリチュアルなものも好きですが、斬新なアートや、日本の伝統芸術、そして、なによりもエビ、カニなどの日本料理が好きです。マイヤさんと、何度も日本料理を食べ歩きました。マイヤさんは、もうお亡くなりになりましたが、「北方領土なんて、あんな島があるために、日ロがもめている。あんなちっちゃな島なんか、早く日本に返せばいいのに、ロシア人の私から見ても、日ロがあれで仲良くなれないのは残念だ」と言ってました。
マイヤさんは、ソ連時代に父親が政府に殺され、亡命を恐れるKGBに、毎日厳しく監視されたそうです。そんな中で、アイロンでドッグフードやキャットフードの缶詰を温め、こっそり食べながら世界中を公演したそうです。マイヤさんは、京都の井上八千代さんからも影響を受け、彼女を見習って、80才を過ぎても「瀕死の白鳥」を踊っていたのです。
そんな訳で、モスクワで行われた、マイヤさんの主催する「マイヤ・プリセツカヤ国際バレエコンクール」の、第一回のスポンサーになりました。森下洋子さんも審査員を務めたのです。その後、モスクワの銀行が破産して、コンクールはできなくなりましたが、バレエを通じた日ロの交流は、今も続いています。
「政冷経熱文温」と言いますが、政治関係が冷えてる時も、分化の交流が温かければ、やがて政治関係も改善されます。すなわち、いかなる時も文温が大切なのです。小泉さんの時代、日中関係が冷えてた時も、私はそう思い、京劇や創作オペラ「楊貴妃」を通し、日中の文化交流に務めてきました。日ロにおいても、私は「文温」を専門にやっていきたいです。
鳩山邦夫会長率いる日ロ協会が、50周年を迎えました。これから、大きく活躍していく日本ロシア協会を、私なりに支えていきたいと思います。ご関係の皆様におかれましても、益々日本ロシア協会をお支え頂きたく、心よりお願い申し上げます。
ちなみに、日本ロシア協会の会長は、鳩山邦夫さんがお亡くなりになったので、今は高村正彦がされてるそうだ。
あと、マイヤプリセツカヤさんと深見東州先生の舞台は、ワールドメイト会員で、見に行った人も多いと思うけどね。
創作オペラバレエ「天の安河のうけひ」なんか、20年以上前になるけど、感動した記憶が未だに思い出される。