学生時代クラブ活動で汗水たらして練習したり、アルバイトしながら一生懸命部活をやっていた人もいると思うけどね。( ̄∇ ̄;)
体育系クラブなんかにいた人だったら、一生懸命練習して上手くなって試合に勝ちたいなんて思ったことあるんじゃないかな〜。
そう思うと苦しい練習にも不思議と耐えられた経験を持つ人もいると思う。
でもいやいややってた人とか、いろいろ不満言ってた人は、結局みんな途中でやめていくんだよね。( ̄⊿ ̄;)
当然だけどわりと厳しい運動部ほど続く人が少なかった。
でもある程度厳しくないと強くならないし。
結局その中で最後まで続いた人は、目標がしっかりしているから、辛そうなことでもつらいと思わないのかもね。
試合に勝つためにはこれぐらいの苦しみは当然と思っているし、もっと強くなるにはまだまだ足りないなんて思っているから、わりと平気でやっていたと思う。
大変そうなことを大変と思わないでやっている。( ̄— ̄)
実はこれが、先日深見先生がお話しされた、修行の心というものなんだろうね〜。
何をやってもどんな状況に立たされてもそれが喜びなんだ、と瞬間的に切り替えることができる。
もともと自分が選んだわけで、好きでやっていることだしね。
最低でもそれくらいの人でないと、スポーツでも習い事でも何やっても長続きしない。
辛いとか苦しいのを耐えることが修行ではないんですよ、と言われていたから。
そういう修行への正しい理解は、人としてのあたりまえの基本的な教養です、とも言われていた。
なにをやっても中途挫折して上手くいかない人は、その基本的な教養を身につけないといけないのかも・・・。∑ヾ(⌒ω⌒;)
そしてせっかくワールドメイトで御神業をやるんだったら、そういう修行の心でやらないともったいないかもね。
ワールドメイトのご神業にも、そのままそれがあてはまると思うから・・・。
でも基本的にご神業は、何やっても楽しいとしか思えないんだけどね〜。(⌒〜⌒)