今回も、なかなか面白いお話がたくさん聞けた。
深見先生のロジックの力、説得力、表現力の素晴らしさは、過去に開催されてきたサミットを見た人なら、よく理解できると思う。
ワールドメイトでのお話や、メルマガなどの文章を読んでも理解できる。
しかし、それを英語で、海外の専門家相手に対してもできるところが、深見先生のスゴいところだと思う。
それは、同志社大学時代のESSで、みっちりと語学力を鍛え上げられたからだと思っていた。
それが大きいけども、それだけではなかったことを知った。
大学受験の時に、みっちりと数学をされていたからだそうだ。数学で日本有数の有名な塾に通い、数IIIまで、たっぷりと鍛えられたらしい。
その数学的な論理性が、英語のディベートや、ロジックのキレとかに役に立ってるそうだ。
それまでは文系だったけど、その時に、急に頭が賢くなった気がしたそうだ。
英語に関しては、同志社大学時代に400人の部員がいるESSのプレジデントになり、複数のセクションを全て行い、他校とのディベートでしのぎを削り語学を磨かれていたことは、何度か聞いていたので知っていた。
その後37歳の時に、当時としては清水の舞台から飛び降りるような気持ちでオーストラリアの家具屋を買収して、白人の従業員たちを使い始められた。
その結果、英語で会議を行ったり、スピーチをしたり、交渉して納得させたりする機会がたくさん出てくるので、英語力にさらに磨きがかかったそうだ。
その37歳から、今日までずっと英語の勉強を欠かされていないそうだ。
そして、その英語力があったから、ビジネスを海外で成功させることができ、欧米社会の中で信頼関係を築くのに十分なコミニケーションもでき、さらに福祉活動や文化、ゴルフ活動へとつながっていったようだ。
ところで海外で、英語でコミニケーションをするとき、まず何を相手に伝えるかというと、人間性を伝えないといけないそうだ。
文化や教養や明るい人間性などが相手に伝わってこそ、相手は付き合いたいと思うそうだ。
海外では相手の人間性を重要視し、一緒に仕事をして面白い、楽しい相手とお付き合いしたいと思うようだ。
日本人だったらビジネスと割り切って付き合うと思うけど、かなり傾向が違うようだ。
それと、とことん納得いくまで議論する力が必要になるそうだ。そのためには切れるロジック、論理性がないと、相手とうまく議論できない。
英語でその両方の要素をやれる人は、一流の企業にはいるんだろうけど、そんなにはいないらしい。なので深見先生が海外に行くと、とても頼られたり慕われるのは、それができるからというのもあるようだ。
深見先生と一緒に仕事をすると面白いし、話がよく通じるし、話も論理的でわかりやすいとの評判らしい。
今日まで28年間、そのように英語を駆使してできた実績と信頼感が、継続して積み重ねられた結果、今のように海外で高く評価されるようになったようだ。
ナショナルオープンのゴルフのスポンサーをして欲しいと頼まれるほど、そういう話にも繋がるわけだよね。
たしかに資金があるというだけでは、どこの馬の骨ともわからないアジア人に、相手も頼んでくることはないよね。
コミニケーションが円滑にでき、現地でのビジネスによる実績と信用があり、 また社会貢献を地道に行うなどの人間としての素晴らしさがない人には頼まないよね。
深見東州先生の場合は、それにプラスして、圧倒的な教養と文化性も備わっている。しかもジョークが面白いので、ますます海外で深見先生を慕う人々が増えているのだろうね。
それを支える語学力の基礎は大学時代に培ったそうだけど、大学受験の時に数学をみっちりやったことが論理的な思考力につながり、英語でも論理明快なロジックのキレになり、議論にも生かされて役に立っているそうだ。
深見東州先生が社長をされる株式会社ミスズは、フランクミュラーとロベルトカヴァリがコラボした時計の総代理店になったけど、その時も、細かい契約の詰めの議論や、法律的な話にも役立ち、それで相手も信頼をしてくれたようだ。
日本の時計業界には、海外の人たちと、そういう交渉やコミニケーションができる人が少ないようなので、海外の企業も、深見先生を重宝するのかもしれない。
結局、同志社大学経済学部に入学するのに数学は必要なくて、その後も文科系だったから、なんで数学を、あれほど勉強したのだろうと思われていたそうだ。
26歳で予備校を作った時に、このためだったのかと思ったそうだけど、本当は37歳で仕事を海外で始めた時に大きく役に立ったんだね。
海外で仕事するのに、外人の弁護士や会計士などと英語で数学的、論理的な議論がでできるのとできないのでは大きな違いになるだろうからね。
それで深見東州先生は、なぜ学生の時に数学の塾に通い、あんなに一生懸命数学を勉強したのだろうと思ったけども、これにはきっと神様の尊いお計らいがあるに違いないと信じていたそうだ。
あれは無駄なことだったとか、間違いだったとか、ネガティブに考えなかったそうだ。
その結果、予備校経営でも数学が役に立ち、海外におけるインターナショナルな活動でも、今、大いに数学的な論理力が活かされている。
そのように、一見無駄だったと思えることでも、必ず後で大きく役に立ち、無駄にはならなかったそうだ。
それは、深見東州先生がこれには神様の尊い御心があるに違いないと信じて受け取ってきたから、その心を神様が受け取られて、神様もそうなるようにして下さったのだろう。
こういう思考が、信仰を持つ経営者のすごいところなのかもしれない。
誰でも、あの時、なぜあんなことをしなくてはいけなかったのだろうとか、なんであんな目に合わなくてはいけなかったのだろうとか、そういう苦い理不尽な経験を、必ず持っていると思う。自分も幾つも思い当たることがある。
でも、あれは失敗だったとか、無駄だったとか、間違いだったとか思わずに、きっと神様がされたのに違いないから、必ず意味があるし、後でこれで良かったとなるに違いないと、そう思うことにした。