カンボジアのバッタンバンにある、ワールドメイト救急病院(World Mate Emergency Hospital)について、もう少し詳しく見てみた。
この病院は1998年に、カンボジア北西部にあるバッタンバン州の州都バッタンバンで、戦争被災者や貧困者に無料の外傷・外科治療を提供するために建設されたそうだ。
バッタンバンは人口100万の都市というから、けっこう大きな街だ。
時間があれば、バッタンバン州の様子がわかる動画を見てね。バックに流れるカンボジアの大衆音楽が、なんともいえない情緒を醸し出しているから。
Battambang Province Cambodia Part 1
それにしても、この地域は、地雷や不発弾の影響が、いまだに色濃く残っているのだそうだ。
2011年の推計によると、カンボジア全土で400〜600万個の地雷や不発弾が未処理のままらしい。
カンボジアでは、1979年以降4万人がそのために死亡し、四肢喪失や長期リハビリ生活をしている人も4万人いるそうだ。
それらの地雷などを一掃するには、あと10年から20年はかかるということだ。
1998年の開業当時には、その年の地雷の被害者の半数が、この病院で治療をうけたそうだ。
今は、そのころよりは大幅に被害者が減ったそうだけど、その反面、交通事故による死傷者が増え続け、ベッドの平均利用率は90%以上で推移しているそうだ。
そんな地域だけに、極めて重要な病院として、これまで機能してきたことがわかる。
ところが、当初から資金を提供し運営していた「エマージェンシー」という、イタリアの慈善団体が、2011年に資金不足に陥り、同病院を含む事業の継続が困難になったそうだ。
そこでハンダ・ファウンデーションに、同病院の運営と維持を引き受けてくれないかと打診してきたそうだ。
こういう話を聞くと、いくら素晴らしい福祉活動であっても、それを継続することは容易なことではなく、気持ちだけではできないことだなと思える。
福祉活動も長期にわたって継続するには、会社経営とまったく目的は違うけども、組織運営における労務管理や資金調達など、あらゆる面において優れたマネジメント力が必要だと思う。
深見先生がされる海外での福祉活動が、すべて成功し喜ばれるのは、若い頃から海外に飛び込んで、事業をいくつも成功させてきた実力が、大いに活かされているからだろう。
天啓によって始められた海外の事業活動があったからこそ、こういう海外での福祉活動も、海外での文化やスボーツによる社会貢献も、ことごとく軌道にのり、多くの優れた海外の友人が増えて発展しているのだろう。
ときどきネットで、海外にお金をばら撒いて名誉を買っているかのように、見当違いなことを好き放題書いてる人もいるけど、その人たちはお金さえ出せば、海外で喜ばれる社会貢献ができると勘違いしているんだろうね。
自分もワールドメイトに入会してなかったら、そういう海外事情や大変さを知らなかっただろうから、人のことはとやかくは言えないけど。
しっかりと現地に根付いて喜ばれる福祉活動をすることが、どれだけ大変な労力を必要とし、適切な運営能力が必要になるのかを理解できないのは仕方ないけどね。
名誉や名声のためにする人は、そんな面倒なことはしないだろうし、評価されるかどうかもわからないような、遠いカンボジアで行うはずがないよね。もっと対費用効果を考えた、効率の良いことにお金を使うと思う。
話を戻すけど、それで2012年3月からハンダ・ファウンデーションが病院を引き継ぐことになった。
さらに2013年6月からは、ワールドメイト・ファウンデーションが引き継ぎ、名前もワールドメイト救急病院となっている。
一旦は閉鎖必至とさえ言われた病院の継続が決まった時の、患者たちはもちろん、関係者の喜びは、ひとしおだったそうだ。
- プノンペン・ポスト新聞記事
地方外科病院に救援の手 デボラ・セコンベ記者
ヘリコプターが降下してきた。身体障害を持つクメールダンサーたちと救急外科病院の職員、患者らが歓声を上げた。バッタンバン地方で閉鎖の危機に直面していた同病院が、新たに継続的資金援助を受け、運営を続けられるようになったという知らせを聞いて、喜んでいるのだ。
同救急外科病院は、年間3,500件の手術を実施し、カンボジアの地雷被害者全体の半数を治療してきたが、2ヶ月前にイタリアからの資金援助が途絶え、閉鎖が必至であると伝えられた。そこに現れたのが、日本人篤志家で、カンボジアとの関わりも深い半田晴久博士であった。同氏は先週末、ハンダ・ファウンデーションによる不特定額の資金援助を発表、病院はこれまで同様に運営を続けられることになった。
ハンダ・ファウンデーションは、半田博士が推進しているもので、カンボジアの病院、学校、孤児院を援助し、同国が戦争とその後遺症から立ち直ることを助けている。支援先にはカンボジア大学やプノンペンのシアヌーク病院が含まれている。
「バッタンバンの病院は、複雑な外傷に対処できる質の高い病院であり、この地方において、たいへん重要な役割を果たしています。」と半田博士は語る。「閉鎖になれば、その悪影響は大変なものだったでしょう」
救急外科病院の医療コーディネーター、ニコラ・ドナーティ医師は、「病院を継続することができない、という知らせを聞いた時のことを、はっきりと覚えています。この病院は、なんとしてでも存続させなければならない。そう思いました」と回想した。ハンダ・ファウンデーションのディレクター、ケビン・オブライエン氏は、「同救急外科病院で治療されている種類の外傷に対応するには、車で5時間かかるプノンペンにまで行かなければならなかったでしょう。そんな長いドライブに耐えられない患者も、多かったことでしょう」と語っている。半田博士は、そうすることができる間は援助を続ける考えを示し、それは「今後1万年間を意味する」ことを期待する、と付け加えた。
そして、ワールドメイト救急病院では、治療費を払えない貧しい人には無料診療を行ない、2013年は約65%が無料診療だったそうだが、2015年からは、すべて無料診療になるそうだ。そのための費用は、日本のワールドメイト会員の支援によって支えられる。
ということで、いままでもワールドメイトの会費は、そういう貧困に苦しむ人たちの人命に関わる救済活動や、弱者救済活動に使われてきたけど、寄付させてもらってる一人としては、大変ありがたいことだと思う。