ワールドメイトのゴールデンウィーク神業がすべて終わった。今年は英虞湾、鳴門の渦潮での神事、星の差し替え神徳祈祷と、とても充実していた。もちろん毎年、いつも素晴らしいけどね。
少し予定よりも延びたけどもね。ワールドメイトの神事は日程通りに形だけで終わらせるものとは違うので、延びても、かえってその方がより一層神徳パワーを感じるからね。参加してるとそれが正しいことだな感じる。
形だけ予定通りにやっても、神徳が現れなければ意味がないからね。そのためには、生きた現場のタイミングがとても難しいけど。
ところで神様は見えない存在だけど、ワールドメイトに入会していろいろ参加すると、何度も感覚で体験することができる。
あるいは、おどろくようなタイミングのよい証が連続して出るから、それで、その存在を確信することができる。
感じやすい人だろうが、感じにくい人だろうが、多少の時間差はあっても、ワールドメイト会員を長くやってる人は、必ずわかるようになると思う。
そういうものがあるから、ワールドメイトの神事には本当に神様が来ていると確信できる。
神事の終わるタイミングについては、基本的に救済のための神事だから、救済が必要な、救済を許された人が参加していないと終わらないこともあるかもしれない。
なぜなら自分も昔参加できるのに、ボーとしてほったらかしておいたら、結局延びていたので参加すると始まったことがあった。
そういう参加した方がいい人がボーとしていると、そうなるのかなーと、そのときに感じて、今は早くから行くようになったけどね。
まぁ、それでも参加するしないはワールドメイト会員の自由裁量にまかされている。
それが神様ごとの場合にいいのかどうかわからないけど、それが今の民主主義の時代には合っているだろうから、それでいいのだろうね。
ただ宗教に限らずあらゆる分野でいえることだけど、本当に突出した逸材は、めちゃくちゃ厳しい環境でなかば強制的に鍛えられたり、あるいは劣悪な最低の環境の中から、それをバネに自ら這い上がってきたりする人らしいけどね。
でも最近はある程度の環境が用意されたなかで、本人の意思によって選択し、努力して立派になっている人も多い。
今のような自由な選択が可能な時代になると、本人の明確な目的と意思の強さがある人はいいけど、それがないと流されてパッとしないまま終わってしまう怖さもあるかもね。