また、ワールドメイトの冬神業に参加したんだけどね、今日。
「気の小さい人は、神業を全うしたいと思う、また信仰を貫きたいと考える。」
「気の大きい人は 人類を救済したいと思う。」という深見先生の言葉がなんか心の奥にズシッと響いたね。( ̄〜 ̄;)
もちろんこれは信仰することを否定している言葉ではないよね。
そうじゃなくて、自分の信仰がどうのこうのよりも、人類を救済したいという人類愛が先に立つ御魂がすばらしいと言う意味じゃないかな。
この言葉を聞いてそうだよな〜と感じた。( ̄‥ ̄;)
ところで、ワールドメイトの節分豆木で、中途挫折因縁解消豆木というものがあるんだけどね。
どういう因縁の人かというと、気が小さいというか、自分かわいさで、強い人の目が気になり、なにもできずにおどおど生きてるような因縁なんだそうだ。
だから何事も全うできないというより、本来すべき事ができないで終わってしまう、ということなんだね。
怠りになってしまうんだね。そういう意味だったんだと思ったね。
色情因縁や修羅道の豆木は、意味がわかりやすいし、気になるから何度か書いたけど、これは書いてなかったような気がする。
豆木は自分に関係ないと思ってるものが、実は必要なんてよくいうけど、やっぱり自分の因縁は自分で気がつきにくいのかもね。( ̄⊿ ̄;)
ワールドメイトの冬神業中はいろいろと気づく事がふだんより圧倒的に多い気がするよね。
今年やらないといけないことや、そのために足りないところを気づかせて、足してくれてるんだよね。
ありがたいなあ〜。( ̄∀ ̄;)
それから神業は学校の勉強と違って、無形のものを学ぶことだから、質問すればなんでも答えが返ってくる学校の勉強方法とはもちろん違うよね。
こちらから、全身で体当たりして求めていかないとだめなんだね。
それでも確実に返ってくるかどうかわからないけど、わかるまでやるしかないよね。
たしか深見先生は学校頭になっちゃいかんと、よく言われていたな〜。
社会では通用しないんだよね、学校頭では。
学校は聞けば答えを教えてくれるけどね。
でも社会に出れば答えなんてだれも教えてくれない事の方が多い。
自分でもがいて、ぶつかって、体験からつかみとるしかないからね。
それで神業の基本が身についた人は、なにもないところから体当たりで道を開いていく深見先生のようになっていくから、社会に出ても、なんでもできるすごい実力がある人になれるんだなと思った。( ̄— ̄;)
実は神業の実力イコール社会人としての実力になるのが本当なんだね。( ̄〜 ̄;)
もっと神業がんばろうっと!! ( ̄ヘ ̄)ノ
byあんこ