ワールドメイトの鹿嶋神業で、また、大事なお話をたくさん聞けた。
( ̄∇ ̄;)
神様のお話もあったけど、人間の中身についての深いお話が多かったね〜。
その人自身や、組織でも、伸び悩んでいる人に対して、とてもありがたいお話だった。
家族でも、会社の中でも、あるいはワールドメイトの会員の中でも、時々おかしな考えをする人がいるよね。( ̄∀ ̄;)
面白いという意味ではなくて、変わった、わけがわからないという意味で。
自分自身もそうだから、人の事はあまり言えないんだけどね。∑(⌒〜⌒;)
それでおかしな考えを持った人に、「それ、おかしいんじゃない」といえば、聞いてくれる人もいれば、納得しない人もいる。( ̄‥ ̄;)
ある程度言ってもわかってくれない人には、それ以上言わないようにしているんだけどね。
冷静に考えると相手に対してあきらめたと言ったほうがいい。┐( ̄〜 ̄)┌
この人にいくらいってもわかんないだろうから、もう言うのはやめようと、すぐに思うんだよね。
相手も面白くないだろうし、あんまりいうとお互いに感情的になりかねないしね。∑( ̄メ ̄;)めっ
それが相手を理解したことになるし、お互いにとっても良いわけだから、それでいいと思っていた。
でも昨日の朝方、ワールドメイトの鹿嶋神事会場での深見先生のお話を聞いて、帰ってくる道すがらにふと思ったんだ。( ̄_ ̄!)
「理解してあげたんではなくて、愛情が足りなかっただけかも」そう思えてきた。
つまり、何度でも相手に分かるまで、言ってあげないといけないと思ったんだよね。
それがほんとの愛情なんじゃないかとね。
今までは、言ってもわかってくれないし、相手には相手の考えや事情があるんだし、だからそれ以上言わないことが相手を理解してあげることだし、それが愛情なんだと思っていた。
実は、相手のことを理解してあげるという前に、相手に理解させるだけの力が、自分にないだけの話だったんだね。
相手の考えや事情も、ある程度理解するんだけども、どうお話すれば相手がわかってくれるのか、実際に相手がわかるまで根気強く、粘り強く努力しないといけないんだ。
そういう忍耐と、寛容の心で、どこまでも理解してもらう努力をすることが本当なんだと。
寛容の心が足りないから腹が立ち、忍耐がないからすぐ努力することをやめ、相手に言うことをあきらめるんだよね。
それでは本当の愛情ではないし、真に相手を理解したことにもならない。
そこをかんちがいしていたね。
専門用語でいえば、悟りが浅かったということだろうね。( ̄— ̄)
「理解してあげることが愛情だ」という意味を浅くとっていた。
多くの行き詰まりは、悟りが浅いまま止まっているからなんだね。
考え方がおかしいことに気がつかないというのも、悟りが浅いからだよね。
相手も、自分もお互いに悟りが浅いまま停滞している。
それが自分や、組織の生きずまり、停滞の原因になるんだね。
だから相手の話とか、相手の事情を聴いてあげることが、一番大事なんではなくて・・。
相手の話もある程度聞かないといけないけど、あまりききすぎないようにして・・・。
相手がわかるまで、気がつくまで、ありとあらゆる方法で、何度でも言ってあげる努力を続けていくことがとても大事なことなんだ。
あんまりしつこすぎて拒否されてもいけないけどね。∑ヾ(⌒ω⌒;)
そこまでやって、「理解してあげることが愛情だ」といえるのかもね。
( ̄∇ ̄) =3