お盆の頃になると、お葬式やお仏壇、お墓、先祖供養など、最近の日本における変化が話題になるよね。
ワールドメイトでは、お葬式やお墓の意味、先祖供養の意義について、いろんな話を聞いてきたけどね。
どうも最近はライフスタイルの変化のせいか、古くから家で守ってきた価値観や宗教観にとらわれずに、いろんな形でのやり方が増えているようだ。
実はお墓については、自分の実家の件でも、いろいろ考えさせられた。
今後もずっとお墓の世話をする人がいるのか?、先祖のお墓の場所が遠いので、新たに近くに作りたいけど、作るべきなのか?
費用もかなりかかるからね。そんなことが話にあがっていた。
まぁ、今は日本全体が核家族化しているし、土地も限られ、家のスペースも限られる中で、いろいろ多様化していくのは理解できるけど。
そのうちお仏壇もなくなり、先祖供養する人もどんどん減っていくんだろうけどね。
先祖供養については、ワールドメイトに入会し、先祖供養の意義を知ってからは、毎年必ずお盆の時期の供養だけは欠かさず供養するようになった。
霊界のありさまを聞くと、家代々行ってきたことを、まるで意味が無いかのように止めてしまうのは、やはり間違っているなと思ったから。
世間では、宗教に対する考え方も変化しているし、というか、神仏や先祖への敬意や理解度が浅くなっている気がするので、簡略化されたり、何もしなくなる傾向にあるんだろうけどね。
先祖もさぞはがゆい思いをしていると思うけど、かといって意義を理解せず、ただ形式的にやってしまっても、あまり先祖から喜ばれないかも。
先祖の人たちあっての、今の自分があること。たとえ気がつかなくても、先祖は子孫のことを気にかけ守ってくれていることを知って、感謝の心で行う必要があるよね。
先祖を敬い、大事に思ってくれる子孫の気持ちを、先祖もわかるし、それを形に表すことで、喜んでくれるからね。
ワールドメイトで聞いたのは、先祖にもいろんなケースがあり、本当はもっともっと細かくやるのがベターなんだろうけど、一般の供養にそこまで求めるのは難しいかな。
ワールドメイトで行われる先祖供養は、かなり細かいというか、いたれりつくせりで、高い位にいる先祖から獄界にいる先祖まで、いろんな先祖に応じた形で行われているからか、その反応を実感するワールドメイト会員もかなり多い。
自分も不思議なことを何度も体験してきたけどね。
あと、現実的な喜びごとになって、子孫にかえってくることもたくさんある。
ただし、そういう現世利益のようなことが続くと、いつのまにか、それを期待してしまうため、本末転倒になってしまうけどね。
自分も、だんだんそうなっていたなと、最近気がついた。
純粋に、ご先祖様への感謝の気持ちでやっていたはずなのに、余計な気持ちが多くなっていたから。
これは神仏に対する時も同じだけど、我がことを離れて、もっと純粋な気持ちでやらないとね。
もちろん、先祖からするとかわいい子孫の願いなら、上手に甘えれば、ちょっとくらい無理を聞いてはくれるんだけどね。
つい最近寝ている時に、夢見心地の状態だったけど、ある母親が出てきた。
その母親の娘が病気で、母親は、娘のことがかわいそうで、できることなら自分が変わってあげたいと思って一生懸命に看病していた。
すると別な母親が現れて、その母親の子供もやはり病気だった。
だけどその母親は、治療するにもお金がかかって大変だし、看病するのも時間を取られ、自分のやりたいこともできないし、早く子供の病気が良くなってくれないと困るわと思いながら看病していた。
どちらも、子供の病気が良くなってほしいと思っているけどね。
かたや純粋な母親の愛情で、我が子のことを思い、もう1人の母親は、自分のやりたいことができないという、我が身のことが第一になっているよね。
この2人の母親が、もしも神仏や先祖に子供の病気の回復を祈るとするなら、どちらの母親の願いを、より聞いてくれるかだよね。
神仏だったら、いうまでもないよね。
先祖だったら苦々しく思いながらも、自分の都合ばかり考えている母親の願いであっても、子供がかわいそうだから、聞いてくれるかもしれないけどね。
夢だったのか、起きていたのか分からないけと、そんな夢を見たので、もっと純粋な気持ちを取り戻さないといけないなと思った。