ワールドメイトに入会してショックを受けた言葉の一つは、「自分の心に素直に生きるなんて人生感を持っている人がいたら、そんなものはすぐにやめましょう」だった。
自分の心に素直に生きるというのは、良いことだと思っていたので、かなり衝撃を受けたのを覚えている。
なぜ、自分の心に素直に生きるのがダメなのかというと、”心というのはコロコロ変わるもの” だからだそうだ。
自分の場合は、いつも心は浮き沈みしていた。
良い時には前向きでやる気に満ちているんだけど、気分が落ち込むと、やる気がなくなり、どうでもよくなることが多かった。
中学や高校生の頃は、ひどい時は、誰にも会うのが嫌になる程、気分が閉じこもることがあった。
でも、しばらくすると、急に心が晴れたように、元気一杯になるんだけどね。
なんて浮き沈みの激しい、喜怒哀楽の激しい人間なんだろうと、思うことがあった。
そんな自分を責めても仕方がないので、自分の心に素直に生きようと思っていたように思う。
そう思うのが自然で、ストレスにもならずに、いいものだと思っていた。
それがワールドメイトに入会すると、「自分の心に素直に生きるなんて最低の人生感ですよ」と言われて、ショックを受けたわけだよね。
たしかに情緒が安定せず、浮き沈みする自分の心に素直に生きていたら、自分はそれで満足でも、周りの人から尊敬されたり、少なくともあの人に相談したいと信頼されるような人物には絶対になれないよね。
別に人に尊敬されたいとも思ってなかったけどね。
でもそれは、ある意味進歩向上する意欲もあまりなく、人間としての修養もしてなかったんだなと、気がついた。
深見東州先生は、心は浮き沈みするものなので、前向きな良い心だけを信じて、そうじゃないマイナスの心は、一切信じないようにと言われていたと思う。
ネガティブな後ろ向きの考えや、不安や葛藤や、いつも何かにグジャグジャと悩んでいるような心は、全て先祖からくるものだと思って自分ではないと思うことです、と言われていた。
逆にやる気に満ちて前向きでポジティブな心は、魂からくる叫びであり、守護霊から来るものだから、それだけを信じましょうということだった。
深見東州先生が全く浮き沈みがなく、情緒が常に安定していて、いつも明るく元気で、暗く落ち込むことがないのは、いつもそのようにしてきたからだそうだ。
それができている人が修養ができている人であり、修養が続くために、修養を進めるために「論語」などの、いにしえの古典を読んだりもするそうだ。
というお話を聞いてショックと同時に、そうだったんだとこれまでの考えを改めた。
ワールドメイトでそのお話を聞いて気をつけるようにしてから、いつのまにか浮き沈みもほとんどなくなり、今では情緒も昔に比べて格段に安定している。
人生は心の持ちようで変わるものだと、巷でもよく言われているけど、それは自分の心に正直に生きるのではなく、ネガティブな思いは自分ではないと強く否定することから始まるんだね。
ネガティブな思いが湧いてくるのは、自分の心が弱いからだと思ってしまうと、いざ克服しようにもうまくいかないから。
自分の中にそれを受け入れてしまっているからね。
そうではなく、それが自分だと思ってはいけない。決してネガティブな思いを受け入れないてはいけない。
実際に先祖や邪霊などの影響を受けて、そういうネガティブな思いが出てくるものだから。
それを否定することで離れていき、マイナスの影響を受けにくくなるわけだよね。