平家物語にも登場する熊野へは、平清盛も栄華を極める前から参り、平安時代から、皇族、貴族らの参詣を集めてきた神社だ。
ワールドメイトでも、何度も熊野本宮大社に参拝したけども、どこから行っても遠いという声が出るほどの山奥に本宮は鎮座している。
昔の人が京都からここまで歩いてくるのは、どれほど大変なことだったか、想像するだけでもすごい信仰心だと思う。今、その道は、世界遺産の一部として登録されているそうだけど。
そして、行けば必ずはっきりとしたお陰が出るということで、室町時代からは皇室や貴族だけではなく、蟻の熊野詣と言われるほど、たくさんの庶民の信仰を集めてきた。
つまり、おかげ信仰と言ってしまうとそれまでだけど、とにかく「不浄の身なりといえども、我、これを守らん」というような、必ず弱いものの味方になり、多少不浄の人であっても、その立場に立って、様々な人間の願いを聞いてくださるのが熊野の神様のようだ。
そんなお優しい、どんな人でも救ってくださる、おおらかな大愛と包容力を持つ素晴らしい神様は、ここだけと言われるほどだ。
それは、熊野の神様、すなわち素戔嗚尊様が、大海原をしろしめす、地球の御魂に当たる大神霊だからのようだ。できの悪い子供ほどかわいいという親心と似ているのかもしれない。
もちろん、本当は、おかげ信仰にならずに、国のため、人々のために頑張ってくれよと思われているようだ。
そして、ワールドメイトで聞いたところでは、ここには地球を修理固成した艮の金神、国常立神がいらっしゃるそうなので、大地のエネルギーがものすごいパワーとなって湧き上がってくるということだ。
深見東州先生の著作にも書いてあるけど、国常立大神が地球を凝結させる力の存在で、それは御龍体となって現れるそうだけど、その地球を、美しい地球に保つなど、地球の働きを総称するときは素戔嗚尊様なのだそうだ。
だから、国常立大神は素戔嗚尊に包含される。
また、素戔嗚尊は金星の神様でもあるとワールドメイトで聞いた。
金星の働きは、芸術・学問・宗教になるそうだ。
たとえば、地球はそれだけでとても美しいけども、その美しさを称えるために芸術があり、その成り立ちを勉強するのが学問であり、それを生み出す神様の御心を知るのが宗教になるそうだ。
堅い話はそれくらいにして、熊野の神様ははるばるとやってきて、敬神の心篤く祈れば困ったことでも聞いてくださる。
だけど熊野の大神霊は、大きな志を立て、前向きな気持ちで心を奮い立たせて祈る方が、本当はもっと喜んで聞いてくださるそうだ。そういう祈りをする人が、あまりいないのかもしれない。
それから、熊野本宮大社でも言われているように、熊野の神は、甦りの神様なのだそうだ。
健康などの生命力の甦り、運気など霊的な甦り、そして魂の甦りと、死に体のもの、枯れたものを甦らせるなど、いろいろな意味での甦りの神様だ。
ショックで傷つき、やる気が出なくなった時に、熊野神社に行ってから甦ったワールドメイト会員もいた。
行ったことがある人はわかるけど、旧社地と言われる大斎原に日本一大きな鳥居が立っている。
ここは、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある中州になっていたそうで、昔の熊野神社の境内はここにあったそうだ。それが、明治22年の大洪水で多くが流されてしまい、今の少し高い場所に上四社は遷座された。現在の規模の8倍の規模があったそうだ。
ここの河原に降りると、とても気持ちが良かった覚えがある。山奥で、今でも簡単には行けないような場所だけど、とにかくスケールの大きな素晴らしい神社なので、一度は参拝に行くことをお勧めしたい。
あと、境内のいたるところに八咫烏が見られる。この八咫烏は、古事記などの神武天皇の時に登場している。神武天皇が日向から熊野に来た時、八咫烏が遣わされて、大和の橿原まで案内をしてくれたそうだ。
日本サッカー協会のシンボルマークになってることでも有名だけどね。
また、この熊野は、一遍上人が開いた時宗の聖地でもある。この本宮で熊野権現から天啓を受けたことにより、その時を時宗の開宗としている。
後に、時宗の念仏聖たちが、熊野の勧進権を独占し、皇族や貴族などのものであった熊野信仰を、庶民にまで広げる役割りを果たしている。
Kumano Kodo 3 熊野古道 熊野本宮大社と大斎原
熊野について、もっと詳しく知りたい人は、深見東州著「パワースポットガイド・熊野」を見てね。
そこに、熊野の圧倒的なパワーの秘密と、願いが叶う理由が書かれているから。