日本のアニメ制作は、世界で高く評価されているよね。アニメの沼にハマると、もう普通の実写ドラマや映画よりもいいなと思えるほどに。
ジャンルが違うからそもそも比較は無理だけど、声優さんのレベルも高くて、ドラマを演じる日本の俳優さんの演技が物足りなく思えることもある。
今日はアニメについて語りたいわけではなくて、アニメでも実写映画でも、素晴らしいものは、どちらも好きだけどね。
そんな素晴らしいアニメや映画でも、たとえば鑑賞する直前のカップルがケンカをしてしまったら、せっかくの感動的な映画だったとしても、気になって、怒りが収まらなくて、まともな鑑賞にならないかもね。
一人で見る時でも、見る前にいろいろ煩わしいことがあると、それを引きずってしまって、今一つ映画の世界に没入できないことってある。
たとえ10人中9人が良かったと思う映画でも、そんな良さが味わえないかも。

いきなり話は変わるけど、実は宗教も同じだなって思って。
というか、もっと繊細に影響を受ける気がしている。
宗教もいろんなタイプがあるけどね。ワールドメイトの場合は、神祭りという神事やご神業というものが、不定期で行われてきた。
そういうものに参加する時には、直前までにどのような気持ちで迎えたのかが、けっこう大事になってくる。
カップルのケンカや、夫婦喧嘩の後とか、あるいは仕事のトラブルがあったり、心がザワザワするような状態で参加してしまうと、せっかくの神事や御神業も、あまり感動的なものにならない。
逆に、神事に参加する前の心の準備が周到にできていた時は、思いがけないほどの大感動の神事になるんだよね。

これって、すごく大事な事実を含んでいると思っている。
前回書いたように、宗教の信仰における神様の存在は、科学的な観測などで証明されたことはない。
でも、神様の存在を感じたとか、はっきりと自覚できたという信仰者の話は、太古の昔からいくらでもあるわけで。
ただ、その人自身の体験であって、それがいつも同じように体験できるとは限らなかったり、ましてや誰でも体験できる再現性になってくると、ほとんど困難になる。
再現性の手段がないものは科学では扱えないだろうからね。

で、何が言いたいかと言うと、ワールドメイトでは、神様への向かい方や祈り方、神事にのぞむ心構えや準備について、細かく教えてもらえる。
教えてもらっても、体験によって身につくものなので、人によって差が出てしまうけどね。
それでも粘り強く学んで、体験を重ねていくうちに、素晴らしい体験ができるようになって、自分の中では再現もできるようになっていく。

昔、ワールドメイトでは伊勢、箱根、鹿島などで大神事が開催されていたけどね。ほぼ参加したけど。
今思うと、最高に感動した時を100とするなら、80だったり、それ以下だったこともあるかな。
それくらい、最高の体験になるのは難しいことだけどね。でも毎回、今回が最高だったと言える可能性はあったのかも。
ワールドメイトでは、素晴らしい宗教的な体験ができるようになるし、なをかつ再現性も高いと、言いたかったんだけどね。
まぁ、全員が、毎回、素晴らしい体験ができるとは限らないけど、神様を実感する人が多いのは事実だし、毎回しっかりと準備して臨むことができると、再現性も高くなっていくと思う。
ワールドメイトでは、「実在する神を掌握し、神を行じ・・」という風な言葉で語られているけどね。
なぜ、こんなことを書いたかといえば、別に神様の実在を証明したいとかじゃなくて、せっかく生まれてきたのに、神様のことを体験することなく、何も知らずに死んでいくのは、ホントにもったいないと、最近思うようになったからね。