明日はバレンタインデーだけど、昨日の「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」は告白がテーマだった。
深見東州先生の高校時代の、告ったらふられたというお話は、ワールドメイトでも聞いたことがあるし、アカスリ半田劇場にも書かれていたし、著作にも書かれていた気がする。
昨日は、深見先生の一生を変えたのも告白だったというお話をされた。
ある優秀な高校の女子から、私はだんだん半田くんのことが好きに(嫌いに)なってきてどちらかを自分で選ぶみたいな手紙が来たらしい。まぁ、ラブレターだよね。
それに対して、高一の深見先生も、私もあなたのことをだんだん好きに(嫌いに)なってきて自分でどちらかを選ぶと書いて、今度、お茶でも飲みましょうか、とでも普通に書けばよかったけど、一生懸命8枚も手紙に書いて返信したら、こんな人とは思わなかったと言われてふられてしまうというお話だった。
それで深見東州先生は、文章というのは大事だと思って、毎日日記を書くようになったそうだ。
今のような物書きになることができたのは、そのおかげなんですよということだ。深見東州先生のほろ苦い青春の一コマが聞ける興味深いお話だった。
それから、告白の手紙を書くときには、午前中とかお昼くらいは客観的に書けるからいいそうだけど、深夜に書くと感情が入り込みすぎて書きすぎるので、失敗しやすいそうだ。
そして告白の手紙はあまり告白しすぎないほうが成功すると思いますと言われていた。
まぁ、告白というのは一つのきっかけなんで、一緒にご飯食べたり、お茶を飲んだり楽しくしているうちに、少しづつ深めていけばいいんであって、告白はしすぎないほうがいいということだ。
なるほど、これから告白しようとするという人にはとても参考になるかも。
深見東州先生も若い頃は未熟だった故に、胸にとげ刺すことばかりだったというのは、この前も書いたと思う。
それで今の深見東州先生があるんだから、若い頃の苦い思い出は、若い頃にちやほやされて過ごすよりも素晴らしいのかもしれないよね〜。
それから昨日の別なお話で、これもワールドメイト会員によく言われてきたことだけど、例えば一人ぼっちだからとか、自分は社会から必要とされていないからとか、ルーティンワークばかりで自分の能力が発揮できないとか、いい出会いがないとか、そんな感じの悩みの99%まではなんでおきてくるかというと、深見先生によるとそれはその人が暇だからだそうだ。
小人閑居にして不善を為すという言葉があるけど、ある禅宗のお坊さんに、私はいろいろと悩み事があって仕事が手につかないんですと相談すると、そのお坊さんは、「悩み事が無いくらい仕事をしなさい」と答えたそうだ。
目の前の仕事に没頭していないから悩み事がおきてくるわけで、悩む暇がないくらいまで仕事をしなさいというのが答えだったそうだ。
まぁ、悩む時間があるのは、それだけ暇があるからだとは思うけど、それでも次から次にいろんな悩みが湧いてくるのが人間だよね。
ちょっとでも油断するとそれからそれへと出てくるからね。
それを気にするために仕事に集中できないことはよくあると思う。
悩みに負けてしまってるんだろうけどね。だから、頭ではわかっていても、そうできない自分を変えるためには、いろいろな工夫がいると思う。
その工夫の仕方や考え方の工夫をたくさん聞いてインプットしておくと、こういう場合にはこう考えると良いことがわかってくるから、失敗を繰り返すうちに、だんだん集中できるようになれるのかなと思った。
考えても仕方がないことは考えなくなってきたし、今すぐに解決できないことも考えなくなったし、逆に今解決した方が良いことは、後回しにせずにそれを解決するように行動するようになるとか、だんだんそんな風に変わってきた。
そうすると、自分がやっていることが社会やみんなの役に立っていないと思って悩むとか、自分は必要とされていないとか、価値を周りが認めてくれないからと悩むとか、それを環境のせいにするとかはなくなると思う。
そんなことで悩む暇があれば、必要とされるように自分を磨くことに集中すればいいからね。
こういうお話を、ワールドメイトであらゆるケースにおいてたくさん聞いてきたように思う。だからワールドメイトに長くいると、だんだん考え方が禅的になるというか、目の前のことに集中し、只今に生きるようになっていくようになるのかも。
ちなみに昨日の深見東州先生のお話では、悩みには3種類あって、それは努力すれば解決する悩み、もうしばらく置いといたほうがよい悩み、それと解決しない悩みの3つだと言われていた。
解決しない悩みというのは、女が男になりたいとか、60歳の人が20歳に戻りたいとかだよね。それは不可能だから。
まぁ、最近は性転換する人もいるけどね。ただ生まれてくる国とか、時代とか、体の特徴とか、自分で選べないものに関しては、考えても仕方がないので、どう受容して乗り越えていくかに意味がある。
解決できないものは、解決できないという解決方法で、そういうものは忘れて、目前のことに集中する。
今すぐに解決できないものは、解決できる時まで待っていて、様子見ながら目の前のことをやればいい。
そうやっていくと、悩みとかほとんどなくなると言われていた。それを心痛から心配に変えるというそうだ。
悩みというのは心を痛めているので心痛なんだけど、心配になると心配りをしている。それは努力に基づくポジティブなものなので良いそうだ。
「ハアァァ〜」と心を痛めるような心痛がいけないんだろうね。
明日のことが心配だから、これをやっておこうというのは前向きなことだからいい。
前向きに努力する中でおきる葛藤や迷いは、これは常におきることであり、よいわけで、ゲーテも人間は努力する限り迷うものだと言っていたらしい。
迷わないというのは、逆に努力していないのかもしれない。
努力する限り、必ず迷いはあるんだよね。だから迷いは素晴らしいということで、進化の証なんだと考えるそうだ。
記録を伸ばすにはどうすればいいかと迷い苦しみ努力するその苦しみは、ポジティプな苦しみであり、生かされる苦しみなんだね。
そういう風に、意味のない苦しみで心痛するのではなく、前向きに一生懸命努力してる人は輝いて魅力的だから、そういう人には助けてくれる人が出てきたり、誠実な人と縁ができたりしている。
前向きに、一つのことに、やるべきことに打ち込んでいるから、やっぱり良いのだろうね。
その他にも良いお話がたくさん聞けた昨夜の「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」だった。
ちなみに昨日の歌は、「ラブ・ミー・テンダー」だった。
プレスリーの歌っているものはあまり聞いたことないけど、深見先生は優しく包み込むような歌い方で、さらりとした感覚で歌われていた。