まれに、人は死んだ後、どうなるんだろうと聞かれることがある。聞かれたというより、その人は死んだら無になると思っていて、存在が消えるということを言いたいだけなんだけど。
でも、無とはどういうことなの?
たとえば今、いろいろ思ったり感じたりする意識も心も何もなくなるってことだとしたら、それって怖くないの?と聞いてみた。
怖い気もするけど、考えてもわからないから、その人は深く考えないようにしているそうだ。
当然、神様の存在も否定するし、要するにこの世的に見えているものしか信じない派だよね。

でも、電波とか、粒子とかも見えないけど、そこに存在することは、科学の進歩で解明されてきたよね。
一方で、宇宙の95%を構成すると言われているダークマターとかダークエネルギーも、あると推測されているけど、科学的な観測ができないから、今のところ正体が解明されていない。
いずれ解明されるかもしれないけど、今のところ科学で解明されていないことは、世の中にたくさんあるよね。
死後の世界もその一つだと思うし、科学では、その存在を証明することも否定することもできない。
だから、死後の世界なんて無いと、単純に考える人もいるけど、科学は観測できないものに関しては、否定も肯定もしていない。

死後の世界は、スピリチュアルな分野になるけど、ワールドメイトに入会する前から関心を持っていた。
そこでは神仏への信仰とか関係なく、死後の世界を見たとか、霊の存在を見たとか、そんな話がくさるほど出てくる。
そんなものを知って、やっぱり肉体が全てでは無いと気がついた。
人の心や意識は無くならない。霊体として存在し続けることを信じるようになった。
それが何でできているかとか、わからなくても、それが無いことの証明にはならないからね。

だから死んだら意識も何もなくなる、無になると信じている人を見ると、昔は不思議で仕方がなかったけど。
便利なものが発明され、ハイテクの時代になり、さまざまな知識を学べる時代になると、科学で証明されてないものは軽んじられ、単純に否定してしまう気持ちもわかるけどね。
さらに、刺激的で、面白いものが次々と出てくる時代だから。
目に見えない世界に意識が向かないだろうし、疎くなってしまうのだろう。
現代人は、ちょっと忙しすぎるし。やりたいことや興味、関心の対象が広がるのは、楽しいことではあるけど。
何かうまくいかなかったり、苦しみがあると、自分の人生について深く考えるようになると思うけどね。内面性や、人の本質に目が向きやすくなるから。

ワールドメイトに入会して、信仰の道を志しても、それは同じなんだよね。
いつも祈りを絶やさないようにしないと、つい、現実に流されてしまうから。
霊主体従という言葉があるけど、それは5対5の割合が良いと聞いたことがある。
現実世界にも、神様の世界にもどちらにも偏りすぎるのはよくないと。
4対6をかけると24、1対9だと9になるけど、5対5は掛け合わせると25になり最大になるからね。
逆にどちらかがゼロだと、かけてもゼロになる。
神霊界と現実世界はバランスよく、それでいて見えない世界が主導するのがいいのかな。