深見東州先生のバイタリティーあふれる活動を知っている人は、あの情熱とエネルギーはいったいどこからくるのか、かねがね興味があるらしい。
自分のようにワールドメイト会員を長くやっていると、深見先生の信じられないような活動も、深見東州先生だったらできるよね、なんて当然のことのように思ってしまうけど。
仕組みのしおり人だから、神人合一の道を会得されているからと、それで納得してしまう自分がいるけどね。
だけど、そんな宗教的なことは抜きにすると、世間の人たちからはやはり不思議に思えるよね。
そこで、先日の深見東州バースデー個展での挨拶で、そんな疑問に対して、誰にでも理解できる言葉にして解説をされていた。
それは、まずは志だと言われていた。志がその人の免疫力も上げる。
志なきところには、体力も精神力も運もやってこないと言われていた。
その志とはどう言うものかというと、王陽明の言う、右足を一歩踏み出すたびに、左足を踏み出すたびに志を立て、吐く息、吸う息のたびに志を立てるものだと。
だから、ちょっとこんな感じになるといいな、みたいな生優しいものではないよね。
死ぬまで、そんな志を持つことで、ご先祖様も背後霊も、産土の神様も応援してくださるから、何倍ものエネルギーになっていくんですと言われていた。
逆に、どんな苦境に陥っても、志さえ失わずに保っていれば、人生はなんとかなるものなんです、とも言われていた。
それから、二つ目の話として、臨済宗の刻々の只今に生きるという教えの話をされた。
日本では臨済宗中興の祖と言われる白隠が有名だけど、白隠は70代が最も活躍したそうで、死ぬ間際には「喝!」と雄叫びをあげて亡くなったそうだ。
そんな白隠の生き様を深見東州先生も理想の一つとされているそうだ。
臨済宗は、迎えず送らずで、未来のことを心配したりしないし、過ぎ去った過去のことをああだこうだと思うこともなく、刻々の只今に生きることに没入している。
それは、今日一日精一杯生きるとかではなく、ずっとそうなんだよね。
人は歳をとり、70歳、80歳、90歳とかになると、もう、あと何年生きることができるだろうかとか、これから何ができるんだろうかとか、考えてしまう。
この年までに、自分は何をやってきたんだろうか、今までやってきたことが世の中に活かされるのだろうか、などと過去のこともいろいろ考えてしまう。
そんな自分自身に勝って、只今に生きる。未来は今の延長線上にあるんだから、未来を考えるくらいなら、今のことに没入するそうだ。
深見東州先生は、過去に自分がやってきたことも、ああ、そんなこともあったかなくらいに、大したことはないなと思っているそうだ。
ホントは、スゴいことをたくさんされてきたんだけどね。
でも、そんな過去のことには囚われていないそうだ。
過去にやってきたことが、世間からどう評価されるとかは、時間が立たないとわからないものだし、時代によっても評価は変わったりするから、世間にどう評価されるのかを考えていたら、何もできなくなると言われていた。
実態として、ただ今、ただ今に、志を持って、自分が良かれと思ったことをやり続けるだけだそうだ。
余計なことを考えない分だけ、深見東州先生の情熱と、無尽蔵に湧いてくるエネルギーになっているんだろうね。
なので年齢のことも忘れる努力をされているし、健康のことも責任ある立場だから研究し、管理し、努力をされているとは思うけど、人は病気で死ぬんじゃなく寿命で死ぬものだからと、迷いがないからね。
過去のことに囚われてしまうと、過去にやったことを、今に活かしてやろうとか思うけどね。
そうじゃなくて、自分で活かすのではなく、今のことを一生懸命やっていると、自ずから過去にやってきたことや、情報や人脈にしても活かされていくそうだ。
最後の3つ目の話は、これもワールドメイトでは何度か話されたことだけどね。
日本人の英雄像についての話で、日本では強いばかりが英雄ではないそうだ。
神話に出てくる大国主も、英雄になるまでには、いじめられたり、困難が色々あったよね。
優しさや、弱さもあり、動物に助けられたり、女性に助けられたり、殺されても蘇ったりして、最後は勝っていくよね。
なので強いばかりではなく、優しさや弱さもあるけど、そこから復活していく力、失敗を乗り越えていくものを英雄と呼ぶそうだ。
日本人は、そんな人を応援するし、乗り越えていく力は、神道では荒御霊と言うけど、そこに日本の神様も応援するそうだ。
神道では、生成化育進歩発展していくところに価値があり、乗り越えて子々孫々まで続いていくことに価値を見出すと言われていた。
と言うことで、そんな3つの話を通じて、深見東州先生がなぜあのような情熱とエネルギーを持ち続けることができるのかが、少しは理解できるかも。